Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

近藤紘一コラム

私の台湾日記②

私の台湾日記 (前回のあらすじ) 台湾に旅立った私は、台湾桃園国際空港から地下鉄MRTで台北駅に降り立った。なぜか、トレンチコートの男が私に近付いてくる・・・ トレンチコートの男は、会話のできる距離まで近づいてくると、「英語はできますか?」と尋…

私の台湾日記①

「古本」と「古書」 今春、所用で群馬県前橋市を訪れた。用事を済ませ、地元の人気店でソースカツ丼を食べると、付近に古書店があるのに気がついた。気まぐれで店内を覗くと、そこには興味深い本の数々が陳列されており、書棚を巡って、楽しい時間を過ごした…

滑走路の暗殺

滑走路の暗殺 物騒なタイトルだが、その書き出しは美しい。 残照のマニラ湾ー。 ロハス通りのレストランのテラスから眺めると、観光ポスターそのままの色彩と構図である。ダイダイ色に燃える海と空、灰色から暗灰色に移りゆくちぎれ雲、その下の部分は海の向…

100℃を超える岩盤

書き出しの動力源 文章を書くにはエネルギーが要る。ただ雑文を書き連ねるだけならば、さほどの事はないかもしれない。しかしながら、多少なり文章校正や、論理の整合性や、話題の完結性といったことをよくよく考慮すれば、容易に文章などは書けない、と思う…

池上彰の見るベトナム戦争

池上彰の現代史を歩く 「第6回 ベトナム戦争 小国はなぜ大国アメリカに勝った?」がいま、放送されている。番組の案内は、以下のとおりだ。池上彰の解説でベトナム戦争が振り返られ、私の知らないこともずいぶん語られている。 テレビ東京 池上特番|テレビ…

随筆

随筆 随筆という言葉をなんとなく読み流していたが、現在では常用外となっている「随う」とは、「従う」と同意であって、文字どおり「筆ニ随フ」ように心に浮かんだことなどを自由な形式で書いた文章をいう。今では、エッセイと呼ばれることが多くなっている…

サイゴンの特派員、近藤紘一とその著作

サイゴンの特派員 サンケイ新聞社のサイゴン特派員であった近藤紘一は、1975年に南ベトナム共和国の崩壊を見届けた。「サイゴン陥落」として知られる、ベトナム戦争終結の一部始終である。 近藤さんは、ジャーナリストとして、ベトナム、インドシナ及び東南…

ルックイースト

ベトナム難民 ベトナム戦争の激化とともに、”ベトナム難民”と呼ばれる人が生まれた。ボートピープルとして、闇の中大洋に漕ぎ出した人も数知れないという。こうした話が完全に過去のものとはなっていない、という一例が過日、産経新聞で報じられた。 2017年…

近藤紘一作品の登場人物

作業の日々 年が明けて約2週間、近藤紘一の著作を眺め続けた。眺めた、というのは一つの作業に特化したためだ。作品に度々登場する人物をまとめることで、何かわかることがあるのではないか・・・という観点で作業を始めたところ、思った以上の時間を要した…

直感から至る道

本を買う。 2018年を迎えてしまった-というのは、地に足が着かないまま、目標も定めず1年を過ごしてしまったという後悔の念に堪えないからである。今年こそは、何かに付けて行動せねばならない、と本を数冊買い求めた。探している時には見つからないものが…

続 はじめないとやる気はでないよ

はじめれば、きっとやる気は出る。 記事を書いたことによって、やる気が生まれたかは疑わしいのだが、1年を振り返るような記事を書いてしまった手前、2017年のことはその年のうちに片付けなければならない心持になったことは確かである。 以下、2017年下半…

はじめないとやる気は出ないよ

はじめないとやる気は出ないよ 誰の言葉か失念してしまったが、これは金言であるだろう。文章も、書き出しの1行さえ書ければ半分完成したようなものだと言った人もある。しかしながら、自転車の漕ぎ出しに最も力を要するように、「はじめる」ということには…

漂流船の行く末

majesticsaigon.hatenablog.jp 陸地 漂流した者、つまり余儀なく家路につくことができなくなった者達の願いは、畢竟「陸に辿りつくこと」でしかない、と思う。 その願いは、帰るべき故郷を持つ者にとっては「家に帰ること」であるかもしれないが、サイゴンが…

70's

70's 私には、どうも70年代に呼応するものがあるらしい。決して行くことのできない場所には一種の魅力があるのだろうか。ノンフィクション作家の沢木耕太郎は、「夢の都市」という言葉でそれらを表現した。ベルリンと、上海、サイゴン。それらの都市には、-…

シエラネバダの向こう側

動物園で 「寺内貫太郎一家※」等で有名な向田邦子の名は以前から知っていた。私にとって印象深いのは、沢木耕太郎があるとき、飛行機の墜落事故被害者を報じるラジオの音声に「K.ムコウダ」と伝えているのを聞いた、というエピソードである。(親交のある)…

明治は遠くなりにけり

明治は遠くなりにけり 1868年は、明治元年であると同時に慶応4年であった。この年に慶応義塾大学が創立され、13年後の1881年に明治法律学校(後の明治大学)が設立された。両大学の名称は、いずれも当時の元号から取られたものである。 ところで、「明治は遠…

近藤紘一 × 日本競馬史 1

スポーツ・ノンフィクション 私は近藤紘一や沢木耕太郎をはじめとして「ノンフィクション」作品を多く読むが、初めて自ら買い求め、読み進めていった作品群も、分野として純然たる「スポーツ・ノンフィクション」に属していることに気がついた。 それは、「…

あの日 あのとき サイゴンで

世界新記録の瞬間 昨日の昼にふとテレビをつけると、1977年9月3日に、放物線を描いてライトスタンドに飛び込んだボールの映像が流れていた。世界最多本塁打の記録を更新した、王貞治の通算第756号ホームランの瞬間である。 そのテレビ番組のテロップがずいぶ…

漂流者達のアルバトロス

ドリフターズ drifter 1 漂流者(者) 2 放浪者、浮浪者 ドリフターという英語は、日本語が「漂流者」と「放浪者」を明確に区別するのと異なり、二つの意味を含有している。また、その複数形を表す「ドリフターズ」は、その言葉の意味するところを超えて、ず…

必携の書2

大黒屋光太夫 必携の書とは、「その人にとっての」と冠をつけるのがより正確かもしれない。急に歴史上の話になるが、1792(寛政4)年、松平定信が老中を務める時代のこと、ロシアのラクスマンが日本の漂流民大黒屋光太夫を伴って根室に来航した。 教科書では…

欠陥から生まれるもの

majesticsaigon.hatenablog.jp 捨てる技術 文章に関わらず、作品を作り上げるには「捨てる技術」というものが重要だとは、よく言われることだ。例えばノンフィクションの作家は、知り得た多くの事実のうち、そのどれだけを削ぎ落として、「作品」として世に…

1954年の戦い -日本、ローマ、インドシナ-

落語、日本を知ること。 先日の事、私は初めて生の落語というものを見た。いや、落語は「聞いた」と言うのが正確だろうか。落語家は、立川志の輔門下の二つ目で、アメリカの名門イェール大学への留学、三井物産での社会人経験を経て入門したという異色の経歴…

次郎の話

majesticsaigon.hatenablog.jp 次郎の話 「次郎の話」というのも唐突だが、近藤紘一の弟は、次郎(つぎお)という。近藤紘一自身によって語られた弟とのエピソードは、戦時戦後の食糧難時に食べ物を奪い合った、という少々シビアな話だが、この記事は次郎(…

探訪 名ノンフィクション

鋭角と鈍角 ノンフィクションの方法論 私がこの本「探訪 名ノンフィクション」を手に取ったのは、沢木耕太郎、近藤紘一といった書き手の作品によって「ノンフィクション」というジャンルに興味を抱いているからである。そしてこの作品には、中央公論誌上に20…

日本人の国際化について

現代は国際化の時代とよく言われるが、私にはこのことについて大いに疑念がある。確かに交通手段やインターネットによって、物理的、電磁的に日本と世界の距離は縮まっている。例えば私も留学中の従兄弟と連絡を取ることができ、至極便利である。 また、スポ…

タイの国王

タイのプミポン国王が亡くなったという。 在位70年、1946年から長きに渡り、国の要となってきた。 近藤紘一がバンコクにいた頃も、そうであった。 近藤紘一の著作に登場する各国のお偉いさん方も、 近年訃報が相次いでいるように思われる。 ヴォーグエンザッ…