Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

ルックイースト

ベトナム難民

 

 ベトナム戦争の激化とともに、”ベトナム難民”と呼ばれる人が生まれた。ボートピープルとして、闇の中大洋に漕ぎ出した人も数知れないという。こうした話が完全に過去のものとはなっていない、という一例が過日、産経新聞で報じられた。

 2017年までの3年間、駐ベトナム大使を務めたテッド・オージアス氏が、トランプ大統領から、「旧南ベトナム共和国出身の元難民ら8千人以上をベトナム政府に受け入れさせるよう圧力をかけられた」ことを明かし、辞任したという内容だ。

 米国とベトナムは2008年に、「1995年より前に米国に到着していた難民は送還しないことで合意」しているというが、この合意に反する格好だ。

 私はトランプ氏の政策の是非には言及しないが、ベトナム難民は未だ存在するのだと、改めて認識した次第だ。

 

ルックイース

 

 話は変わるが、「ルックイースト政策」とは、教科書にも登場する言葉だ。「東を見よ」という意のこの政策は、マレーシアの首相に就任したマハティールが述べたものである。

 1981年に首相に就任したマハティールは、戦後の荒廃から目覚ましい発展を遂げた日本の経済並びにその発展の推進力となった日本的な勤労スタイルを指針として自国の経済を発展させるべく、この政策を実行した。

 マハティールは長く2003年まで首相を務めていたが、私はどこかで、「マハティールは途中から「ルックイースト」と言わなくなった」ということを耳にした。その長い在任期間のうちに日本の経済は崩壊し、アジアの指針足り得なくなったからだ。

 

明治の政治家たちは

 

 私は最近、92歳となったマハティールへのインタビューが掲載された記事を読んだ。印象に残っているのは、「日本発展の基礎を作り上げた明治の政治家たちは偉大だったが、現在の政治家は普通だ」という趣旨の発言だ。

 マハティールは、過去の日本をよく研究し、今の日本をも見つめ続けているのだ。

 

マレーシア総選挙

 

 それから間もない本日、5月9日、マレーシア連邦議会の総選挙の投開票が行われるという記事を目にした。「1957年の独立以来、政権を担ってきた与党連合を率いる」現首相に、「野党連合の首相候補となったマハティールが挑む構図」だという。紙面には、首都クアラルンプールで演説するマハティールの写真が掲げられていた。

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 選挙の結果次第では、マハティールの再登板が有りうるということになる。高齢社会となった日本にあっても、92歳の首相候補が誕生する機会はそうそうあるまい。

 しかしながら、年齢を重ねた政治家の判断力が低下するかどうか、という問いについての答えは、シンガポールの首相を長く務めたリー・クアンユーが既に出している。

 私はただ、近藤紘一がレポートし続けたアジア情勢の流れが、現代にも寸断なく続いている、という当然の事実を確認したに過ぎない。

 マハティールの戦いの結果は、明日以降の新聞の片隅に掲載されるだろう。

 

1000文字で分かる「近藤紘一」 - Witness1975’s blog

 

 

マハティールの履歴書

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