Coup d'État ミャンマー軍事クーデター雑感
クーデター
(Coup d'État=国家レベルにおける突然の行動)権力者側の一派が武力などの非常手段によって政権を奪うこと。【三省堂 新明解国語辞典】
政府の一部の勢力が,政権を全面的に奪うため,あるいは権力拡大のために,秘密裏に計画を進め,武力行使などの非合法的手段をとること【ベネッセ 表現読解国語辞典】
クーデターという言葉がフランス語であるのを,近年知った。そして先ほど,「coup」に(不意の)一撃,大当たり,大成功という意味があることを知った。クーデターとは国家に対する「不意の一撃」のことなのだ。
そして意外なことに,クーデターを起こせる者は,定義上,権力者側の一派,あるいは政府の一部の勢力である必要がある。つまり,第一党の主流派や,政府転覆を企むならず者,そして一介の市民である私は,その要件上「クーデター」を起こす主体とはならない。
ミャンマーについて
ミャンマーには日本企業が約400社進出しており,民主化を機に今後の成長が見込まれる有望な市場として,近年注目を集めていた。それはごく最近のことで,日本軍がビルマをも戦地とした戦争で敗れて以降,「ミャンマー軍事政権と戦う民主派のアウンサンスーチー」という認識が,われわれ日本人の,ミャンマーに対するステレオタイプな知識だったと言えるだろう。
ミャンマーの現代史を,主に私の理解のために(大雑把に)記述する。(情報源は外務省HPと,Wikipediaによることをご容赦願いたい。)
1930年代 アウンサン将軍(アウンサンスーチー父)が独立運動を展開
1940年~ 日本軍と共に戦い、1942年7月ビルマからイギリス軍を駆逐
1943年 アウンサン将軍国防相に就任
1945年3月 日本敗戦濃厚。イギリスにつき,日本軍に対して決起
1945年9月 イギリスとの約束が反古となり英領ビルマとなる。
1947年 アウンサン将軍暗殺(享年32歳)
1948年 ビルマ独立
1962年 ネ・ウィンの軍事クーデターで社会主義政権誕生
1988年 社会主義政権が崩壊したが、国軍がデモを鎮圧し政権掌握
2011年3月 民政移管により、テイン・セイン政権が誕生
2015年 総選挙開催。アウンサンスーチー議長率いるNLDが大勝
2020年11月 総選挙開催。同議長率いるNLDが再び大勝
2021年 国軍は政権が、国軍トップのミン・アウン・フライン最高司
令官に「移譲された」とし、政権を奪取したと発表
噂によれば
予備知識がないまま,上記の年表を整理した私は,力尽きようとしている。私がクーデターと聞いて思い出していたのは,近藤紘一の目撃者に収められた「噂によれば」の世界だった。
またぞろ,クーデターの噂が流れはじめた。前回,同様の噂が飛び交ったのは,ぼくがこの国へ赴任したての昨年春先であったから,ちょうど一年ぶりということになる。
(中略)
だからといって,これらの噂や思わせぶりな記事を頭から無視するわけにはいかないのが厄介なところだ。この国では軍部内のいがみ合いはしょっちゅうのことであるし,これまでの政権交代はたいがいクーデターの形で行われてきたのだから。
近藤さんは,タイ・バンコクでの取材経験をもとに,この創作を行ったと思われるが,根も葉もないことばかりだったわけではないと思う。しかし今回,大統領,党首が拘束されたとなれば,クーデターは,ただの噂では済まなかったらしい。平和的な解決が,望まれる。
内戦
日本における最後の「内戦」は,1877年の西南戦争である。西郷隆盛を盟主とした士族の反乱が起きたのは,明治10年のことだった。政権の安定には,それなりの月日が必要なのかもわからない。
結果的に西郷さんが起こしたのは,内戦だった。西郷さんが本気なら,クーデターという手もあったのではないか,無論,ただの空想である。