Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

掬うもの

奇跡の季節感 

 季節がすっかり冬となっても,どうにも季節感に欠けているように感じるが,それは私だけの感覚でもないようだ。「今年は山下達郎を聞かないな」という人に続けざまに出会った。それは彼らが,人の集まる場所に出向いていないだけかもしれないがー。

 最近「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」という本を読んだ。「エチ先生」は100歳を超えても活動をしていた元私立灘高校の国語教師である。彼が在職中に行った授業は異例のもので,一冊の文庫本「銀の匙」を教科書として,3年間学び続けるというものだ。-スロウリーディング。一冊の本を深く,深く読んでいくことで,力を培った生徒たちは各界で活躍する。酒造会社の出資でつくられ,公立校のすべり止めと見られていた灘高校は,一躍東大合格日本一の進学校となった。

 

奇跡の教室 (小学館文庫)

奇跡の教室 (小学館文庫)

  • 作者:伊藤 氏貴
  • 発売日: 2012/10/16
  • メディア: 文庫
 

 

横道にそれること

 教科書は一冊だが,授業のテーマは縦横無尽である。横道に,脱線する。深く学ぶことで生まれる興味は,どこまでも広がっていく。何かに興味を持つということは,教育の最も肝要な点なのではないかと,私は思う。

 エチ先生こと,橋本武は,銀の匙を教材として選んだ理由の一つをついてこう語っている。

私が『銀の匙』に3年をかけてみようと思った理由の一つに,戦後忘れられようとしている日本の年中行事や,四季の移ろいを感じられる二十四節季を伝える教材として,この小説は非常に優れていると感じたことがあります

 

銀の匙 (小学館文庫)

銀の匙 (小学館文庫)

  • 作者:中 勘助
  • 発売日: 2012/10/16
  • メディア: 文庫
 

 

日々の気づき

 気づきの力は,生きていく上でどこか重要なものを持っているのではないか。そうした力は,季節というものに気づくという,人間の根源的な面における感性を磨くところが出発点なのかもしれない。そんなことを想ってみた次第だ。

 二十四節季など,私もほとんど把握していない。冬至だけは好きである。待ちわびているという意味では,クリスマスより,あるいは自分の誕生日より私は冬至が好きだ。これから陽が伸びていく。それは,誰もに平等に訪れる未来への希望とも言えるのではないか。

 そう考えると,斜陽産業などという言葉は,なんとも残酷な意味合いを含んでいるものだ。沈む夕日が美しいのは,また必ず昇ってくるからだろう。パンデミックが終息しなかった歴史はない。季節の移ろいは,そんなものに惑わされはしない。冬らしい,弱弱しい陽ざしを楽しむのが,きっと人生を楽しむ人なんだろうと,そのような感覚が腑に落ちる日を,私は望んでいるー。

 この国の季節を知ること,それは何か非常時にあって,地に足をつけて考えるために必要なものなのかもしれない。近藤さんが,万葉秀歌を異国における必携の書,としたのも,そういった感覚であったのかもしれない,と思う。


majesticsaigon.hatenablog.jp

 

予告

 ここしばらくの昼休み,私の想像はまたもベトナムへ飛んでいた。「キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争語り部たち」上下巻計1,200ページ弱に及ぶ大部のノンフィクションをついに読了した。次回は,これについて書こうと思う。