Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

2016-01-01から1年間の記事一覧

タイの国王

タイのプミポン国王が亡くなったという。 在位70年、1946年から長きに渡り、国の要となってきた。 近藤紘一がバンコクにいた頃も、そうであった。 近藤紘一の著作に登場する各国のお偉いさん方も、 近年訃報が相次いでいるように思われる。 ヴォーグエンザッ…

近藤紘一の義父、萩原徹。

義父 萩原徹 「サイゴンから来た妻と娘」を書いた近藤紘一が、ベトナム戦争を取材する新聞社の「戦地特派員(ウォーコレスポンデント)」として、南ベトナム共和国の首都サイゴンに赴任したのは1971年、31歳の時だった。近藤さんは、その前年に日本人の夫人…

晩年の父台五郎と、近藤紘一

医者と息子 私は近藤紘一の著作を読んでいて、家族の話題であっても、近藤さん側の親族がほとんど出てこないことに多少の違和感を覚えていた。その違和感は、おそらく近藤さんは医師である父近藤台五郎とはあまり良い関係にないのではないか、という邪推と置…

「美しい昔」への反論①

「美しい昔」への反論 沢木耕太郎、開高健、司馬遼太郎のほか、古森義久ら近藤紘一と同時期にベトナム戦争を取材した者達によって、近藤さんについて言及された本が複数存在している。その全てを把握するにはしばらくの時間がかかりそうだが、こうした「近藤…

近藤家の人びと2 -祖父 近藤次繁ー

名医 近藤次繁 近藤次繁は,日本で初めて胃がんの手術を成功させた人物として知られている。近藤台五郎の父,近藤紘一の祖父の当たる。帝国大学でお雇い外国人ユリウス・スクリバ※に学んだ近藤次繁は,帝国大学卒業後も医術の道を歩み続け,次第に名医として…

近藤紘一の足跡2 -そしてサイゴンへ-

サイゴンとの出会い 近藤紘一は、1975年に南ベトナム共和国において、ベトナム戦争終結に至る「サイゴンの一番ながい日」を経験することになる。日本の若きジャーナリストは如何にしてその歴史に立ち会うに至ったのか。 1963年に早稲田大学の仏文科を卒業し…

近藤紘一ブログ(Witness1975’s blog)開設

このブログについて このブログは、2016年2月25日に開設されました。近藤紘一さんに関わることを中心に、継続しているところです。最初に掲載した記事については、大幅に加筆修正し、次のとおり掲載しています。(2018年5月12日) 【その他の記事等】 ◇サイ…