Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

1000文字で分かる「近藤紘一」

近藤紘一とは 

 近藤紘一(1940-1986)は、東京都出身のジャーナリスト、作家。サンケイ新聞の特派員として、「サイゴン陥落」を見届け、そのベトナム戦争終結の場面を「サイゴンの一番長い日」として刊行した。

 インドシナ地域を中心に国際報道に携わりながら、ベトナム出身の妻と娘との生活を描いた「サイゴンから来た妻と娘」等の作品を生み出す。同作が第10回大宅壮一ノンフィクション賞沢木耕太郎の「テロルの決算」と同時受賞するなど活躍した。

 

幼少期~サンケイ新聞入社(~1964年)

 医師である父近藤臺五郎の長男として生まれる。5歳のときに終戦、神奈川県逗子市で育ち、少年期には流鏑馬の稽古に励む。湘南高校を経て早稲田大学仏文科に進学し、首席で卒業後、サンケイ新聞に入社、静岡支局勤務となる。翌年、駐仏大使萩原徹の長女浩子さんと結婚する。

 

フランス留学~サイゴン勤務(~1971年)

 海外留学生として夫婦でパリに渡る。同時に特派員として「プラハの春」を取材する。帰国後の1970年、夫人と死別する。1971年30歳の時、南ベトナムサイゴン支局長として赴任。

 

サイゴン勤務~サイゴン崩壊(~1975年)

 ベトナム人のナウさんと出会い、1972年再婚。娘のミーユンほかの親族とともにナウさん所有の「幽霊長屋」に暮らしながらベトナム問題をレポートする。開高健司馬遼太郎等を現地で迎えるなど、サイゴン支局長としての任期は最長となる。1974年に一時帰国するも、戦況の悪化を受けてサイゴンに戻り、サイゴン陥落を目撃する。

 

バンコク勤務~帰国(~1983年)

 日本へ帰国後、「サイゴンから来た妻と娘」を出版、その後1978年にバンコク勤務となる。引き続き東南アジア地域についてレポート。カンボジアポル・ポト政権下のキリング・フィールドを生き抜いた日本人女性の体験談を取材した「悲劇のインドシナ・戦火と混迷の日々」、「バンコクの妻と娘」等を執筆する。

 

帰国後(~1986年)

 古森義久と共著で「国際報道の現場から」を刊行。小説の執筆も始め、初小説「仏陀を買う」が中央公論新人賞受賞。1985年、体調を崩し入院、1986年1月27日、胃がんのため虎の門病院にて息を引き取る。

 

終わりに

 沢木耕太郎は、近藤紘一の死を「途上の死」と評した。まさにこれから、だったのだ。ここに記した文章は、全く彼の魅力といったものを表してはいない。わずかな活動期間の中で彼がどのように豊かな文章群を残したか、その原文を確かめて頂ければ幸いである。 

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

 
サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))

サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))