Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

近藤紘一に連なる人々

君は、PANA通信を知っているか。

報道写真家 近藤幹雄 近藤紘一や沢木耕太郎の担当編集者を務めた元文藝春秋社の新井信が、新装版「サイゴンから来た妻と娘」に寄せたあとがきに、次のような一節がある。 私は近藤紘一のいとこである近藤幹雄氏に声を掛けられた。隠していて申し訳なかったが…

サイゴンの特派員 友田錫〈下〉

majesticsaigon.hatenablog.jp サイゴンの特派員 平敷安常氏の「サイゴンハートブレークホテル」では、平敷さんが友田錫氏に送った質問に対する答えが紹介されている。質問内容は、「ベトナムへ行った動機について」「報道の姿勢ないし視線について」「友田…

サイゴンの特派員 友田錫〈上〉

サイゴンの特派員 友田錫(ともだ せき) 今夏、旅先で新聞をめくると、友田さんの名前を訃報欄で目にした。 友田錫氏 (ともだ・せき=元日本国際問題研究所所長、元産経新聞外信部長) (中略)早大卒業後、東京新聞を経て産経新聞に入社、ベトナム戦争時…

「パリの近藤紘一」~ベトナム・ストーリーズ~

ベトナム・ストーリーズ 私はかつて、新聞記者になりたいと思っていた。物を書いて暮らす人になりたいと、ただぼんやりと願っていたので、そのうちに希望はどこかへ飛んでいってしまった。あるいは、魅力ある近藤紘一作品にもっと早くに出会っていたら新聞記…

顔もあれば眼もある本

開高健の激賞 サイゴン陥落の前後を記録した、近藤紘一の「サイゴンのいちばん長い日」の巻頭には、ベトナム報道の先達でもある開高健が文章を寄せている。初版の際には、カバーに掲載するための推薦文として文字数の制限があったと思われ、非常に短い文章だ…

アンドレ・マルロー

「見ろ、マルローだ。」 パリの近藤紘一は、コンコルド広場から歩いてくる人並みの中の人物に視線を引きつけられた。「大作家だ。ドゴール派の中でも別格だ」と、デモ見物に同行していた友人にその作品や経歴を説明し、「一個の人間の姿そのものから、これほ…

近藤紘一作品の登場人物

作業の日々 年が明けて約2週間、近藤紘一の著作を眺め続けた。眺めた、というのは一つの作業に特化したためだ。作品に度々登場する人物をまとめることで、何かわかることがあるのではないか・・・という観点で作業を始めたところ、思った以上の時間を要した…

必携の書2

大黒屋光太夫 必携の書とは、「その人にとっての」と冠をつけるのがより正確かもしれない。急に歴史上の話になるが、1792(寛政4)年、松平定信が老中を務める時代のこと、ロシアのラクスマンが日本の漂流民大黒屋光太夫を伴って根室に来航した。 教科書では…

伝説の編集者 新井信

伝説の編集者 新井信 1979(昭和54年)、第10回を迎えた大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した人物がいる。文芸春秋社においてノンフィクション部門の編集者として従事した新井信(あらいまこと)だ。 (↑上記外部リンクにて、新井さんが大宅壮一ノンフ…

探訪 名ノンフィクション

鋭角と鈍角 ノンフィクションの方法論 私がこの本「探訪 名ノンフィクション」を手に取ったのは、沢木耕太郎、近藤紘一といった書き手の作品によって「ノンフィクション」というジャンルに興味を抱いているからである。そしてこの作品には、中央公論誌上に20…

タイの国王

タイのプミポン国王が亡くなったという。 在位70年、1946年から長きに渡り、国の要となってきた。 近藤紘一がバンコクにいた頃も、そうであった。 近藤紘一の著作に登場する各国のお偉いさん方も、 近年訃報が相次いでいるように思われる。 ヴォーグエンザッ…