Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

顔もあれば眼もある本

開高健の激賞

  サイゴン陥落の前後を記録した、近藤紘一の「サイゴンのいちばん長い日」の巻頭には、ベトナム報道の先達でもある開高健が文章を寄せている。初版の際には、カバーに掲載するための推薦文として文字数の制限があったと思われ、非常に短い文章だ。

 前書きなどというのは、しばしば軽く読み流してしまうものである。しかし、良く読めば、この短い文章の中で開高健が近藤さんの文章を激賞していることがわかる。結びの一文を、以下に引用する。

 おかしくもあれば凄絶でもあり、必死であるが悠々ともしているあの国の路上の人々の姿態が率直、公平、柔軟にスケッチされ、簡潔さのうらにしみじみした優しさがあって、それがなければとらえるすべのないさまざまのものが収穫となっている。これは、顔もあれば眼もある本である。

 開高健の見抜いたところは、近藤さんが「率直、公平、柔軟にスケッチ」し、「簡潔さのうらにしみじみした優しさ」を持ってこの本を書いたということだが、これこそが、近藤さんの著作に共通する魅力であるような気がする。私は、処女作の前書きにこの文章を寄せた開高健の力量に感服した。

 顔もあれば眼もある本

   文章に顔があるとはどういうことか。これはその本の中に、作者が生きている、近藤紘一と言う人物が、「本の中に」確かに現れているーーということではないか、と考える。それは作中に本人が登場するかどうかということではなく、古今東西、あらゆる名著に共通のことであって、その人の個性(人間性)が現れている、と言い換えてもいい。

 眼もある、というのも同様に、「スケッチ」をするためには、その対象が見えていなければならない。様々なものを見抜く視力が、投げかける視線の力が確かに発揮されている、ということだろう。

 ところで、「文庫版のためのあとがき」に、第7回の大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員を務めていた開高健からの電話について書かれている。これも、近藤さんを高く評価しての事なのだろう。

「実にもったいないことをした。一生かかっても、あのテーマについて書き直しなさい。いいですか。それがあなたの義務ですぞ」と、脅迫まがいの励ましと忠告の言葉をいただいた。(中略)いまだに一生の義務は果たせないでいる。

 

 

熟読玩味

  古来、本を読むことは「論語」などの歴史的な名著を繰り返し読むことだった。小林秀雄は、一冊一冊を、「わかった、わかった」と知識を得るためだけに、乱読することに対し、警鐘を鳴らしていたが、一冊を繰り返し読むことで得られるものは確かにあるだろうと思う。教えにならって重要な本は何度も読むことにしている。

 「サイゴンのいちばん長い日」をはじめに読んだときは、「顔もあれば眼もある」とはなんのことか。と思ったものだが、よく読んでみれば、これほど本質を掴んでいる表現もあるまい、と思えてきた。

 私は、再びこの本を読み進める。

 

誤報

  プロローグで、1975年3月18日のことが書かれている。

「夕食後、東京・麻布台の自宅でテレビのスイッチを入れ、「南政府軍、中部高原諸省を全面廃棄」のフラッシュを目にした時、誤報だと思った。

 この文章から近藤家では、食事中にテレビを見る習慣はなかったのだ。などという詰まらぬ推量もできるが、妻と娘との会話を楽しんでいたのだと想像すれば、それもまた興味深い。

 さて、注目したのは「誤報」という言葉だ。私達は普段、テレビに現れたフラッシュを見ても、「誤報」などと考えはしまい。本当だろうか、と疑問に思うのが普通だ。まして、自ら報道に関わる近藤さんにこの一報を誤報だと思わせたのは、3年半に及ぶサイゴンでの経験に裏打ちされた直感だろう。

 中部高原のプレーク・コンツムらに展開する部隊を首都圏防衛のために退却させるこの領土縮小作戦は、「素人目にも信じられない、粗雑な大バクチに思えた」という。情報が確認されたのは丸一日以上経った3月19日夜であった。

 取材のため、サイゴンのタンソンニュット空港に到着する3月23日夕方までの時間に、現在の仕事の整理、娘の滞在先の確保のほか、妻であるナウさんの「里帰り」のための準備(親族へのお土産など)に追われたのだろう。近藤さんも、「中部の地殻変動がそのまま共和国崩壊の激震に発展するとは思ってもいなかった」のだから。

 

「報道」 ”国”

 

 この覚え書きにより、私は、「報道」が意識的にか、無意識的にか欠落させた部分ーーつまり、南ベトナムという”国”も、私たちと変わらぬ生活人の集合体であり、そこではそれなりに幸、不幸ないまぜの日常生活が営まれている、という極めて当然の事実を自分自身あらためて見なおしてみたかった。同時にその土地に住む人の生活実態や、精神風土などを知る努力なくしては、その”国”の崩壊という歴史的事象の評価もありえまい、ということを、自分自身に再認識させたかったのだ。 

 近藤さんは、この本の事を「覚え書き」と呼ぶ。初版本は、書き始めから2週間で脱稿された。ジャーナリズムとしての速報性も重視されたからだ。前述の開高健のいう「もったいないことをした」とは、充分にこの「覚え書き」を熟成させなかったことを指すのだろう。それは、近藤さんにもわかっていた。

 話は変わるが、「」(かぎかっこ)は通常、「1 会話文」・「2 引用」・「3 強調」のほか、「4 通常とは異なる意味」を持たせるために使われる。引用した上記の文章で近藤さんが使う「報道」とは、4番の意味合いだろう。本来、報道が果たすべき役割が果たされていない、という批判がこの”「」”に込められている。 

 また近藤さんが上で「”国”」と表記するのは、3と4両方の意味合いを持たせるためだろう、と思う。南ベトナムという国が崩壊した、と一言にいうが、”国”が存在を消しても、そこに暮らす人々は決して消えはしない、と。

 

1000文字で分かる「近藤紘一」 - Witness1975’s blog