Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

伝説の編集者 新井信

伝説の編集者 新井信

 1979(昭和54年)、第10回を迎えた大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した人物がいる。文芸春秋社においてノンフィクション部門の編集者として従事した新井信(あらいまこと)だ。

(↑上記外部リンクにて、新井さんが大宅壮一ノンフィクション賞に言及している。)

 

 新井さんが担当編集者として刊行した、近藤紘一の「サイゴンから来た妻と娘」と沢木耕太郎の「テロルの決算」が、第10回となる同賞を受賞したのだ。編集者冥利に尽きる、吉日であったと言えるだろう。

 

二つの受賞作

 「サイゴンから来た妻と娘」は、サイゴン陥落を見届けた近藤さんと、べトナムから来たの妻と娘の日常を描いた物語である。我が国と外国の異文化交流を、家族の絆を通して描いた傑作と言える。

 また、沢木さんの「テロルの決算」は、右翼少年であった山口乙矢(やまぐちおとや)が、社会党浅沼稲次郎を刺殺するという、日本の歴史的なテロ事件を、ニュージャーナリズムの手法で描いたノンフィクションの傑作である。

 これらの優れた作品の担当編集者をしていた新井さんが、「伝説の編集者」とも呼ばれていることに何ら異論はあるまい。1940年生まれの近藤さん、1947年生まれの沢木さんにとって1937年生まれの新井さんは、信頼すべき年長者であったろう。両名とも、その著作の中で新井さんへの好意を表している。

 

近藤紘一 その死と再生

 2013年、「サイゴンから来た妻と娘」の新装版に、新井さんが、「l近藤紘一 その死と再生」と題するあとがきを書いた。最近、このあとがきを再読した私は、自身と近藤紘一作品との出会いを思い出した。

 私は本を買う前によく、あとがきに目を通す。今般、新井さんの「あとがき」を読んで、私の近藤紘一観というべきものが、いかにこのあとがきに影響されているか、に気付いた。はじめに近藤さんの作品を読む前に、私はあとがきに目を通していたのだ――このあとがきは、もちろん短文だが、近藤さんの死後に発表された彼に関する文章の中で、最上のものの一つと言っていい。私の書くいくつもの記事より、どれほどの価値のあるものか、とも思う。 

 編集者としていくつもの作品を手掛けた新井さんの文章は、有象無象のノンフィクションライターの力量を軽く凌駕している。

 

近藤紘一を読む。

 そして私は、近藤さんの作品等に関しこのような文章群を書く価値があるか、と自問することになるのだが、同日に読んだ小林秀雄の文章に、以下のような一節があった。

文は人なり」といふ言葉は、大した言葉で、何の彼の言い乍ら、文学の研究法も鑑賞方法も、この隻句を出ないと見えるものであるが、この簡明な原理の万能を信ずる為には、作者との直の付き合いなどない方が好都合である。古典の大きな魅力の一つは作者が死に切り、従って作品を一番大切な土台として、作者の姿を思い描かざるを得ない魅力である。

(一部現代語訳)

 という一節を見た。この言葉を信ずるならば、近藤さんを直接にも間接にも知り得ない私が、近藤さんの文章を読んでいく価値がありはしないか、とも思う。

 

あとがき

 一方で私は、新井さんのあとがきを読み、生前の近藤紘一に想いを馳せる。そこには、編集者と作家という枠組みを超えた、一つの強く確かな人間関係がある。そのように感じられるからである。

 

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