Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

カブール陥落

ヘリコプターの影

 東日本大震災以降、昼休みに時間があるときは、英文のニュースサイトを見ることを習慣としている。ときに、日本のメディアが報じない(か非常に扱いが小さかったり遅れたりする)情報がそこには書かれているからだ。日本のメディアが誰かの不倫などにかかずらわっているときは特に、だ。不倫よりはいいが、災害やコロナウイルスなど、報道が「一辺倒」なときも、チェックするように心がけている。私の英文読解力は少しも高くはないが、ニュースサイトには写真も載っている。何を報じているかを把握することは、それほど難しくはない。

 そして私は、ニュースサイトの写真にヘリコプターの影を見た。

 「カブール陥落」・・・その映像に、「サイゴン陥落」のことを思い浮かべたのは、私だけではなかったはずだ。

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タリバン、カブール中心部へ(引用)

15日、インターネットやメディアではカブールのアメリカ大使館の屋根から職員を退避させるヘリコプターの映像が流れ始めた。ロイター通信やワシントン・ポストを初めとする報道機関は、タリバンがカブール中心部に迫る中、アメリカがヘリコプターを使って職員を緊急避難させていると伝えた。 

Newsweek 配信 ジェイソンレモン氏の記事より引用、以下同じ)

 

ジョー・バイデンの予測(引用)

バイデンは7月8日、アフガニスタンからの米軍の全面撤退について記者会見した際、アメリカ国民があの時のような映像を見ることはないと断言していたのだ。 「タリバン北ベトナム軍ではない。(両者は)能力という意味で比べものにならない。人々がアフガニスタンアメリカ大使館の屋上からヘリコプターで運び出されるのを目にする状況にはならないだろう。まったく比較にならない」とバイデンは述べた。 

 

TALIBAN TAKE AFGHANISTAN

 タリバン テイク アフガニスタンタリバンアフガニスタンを手中に収めたと、CNNはトップページでこのことを伝えている。BBCも、混乱するカブールの様子を伝えている。

Afghanistan latest news as Taliban forces take Kabul: Live updates (cnn.com)

 

 緊急事態宣言や、パラリンピックの無観客が小さなニュースだとは思わない、が、一国の存亡がかかっているときに、いくら関係ないとは言っても、精神的にも知らぬ存ぜぬを決め込むのは、島国根性と言われても仕方ないのではないか、と思う。

 最も、私にしてもこのことは対岸の火事程度にしか思っていない、ということは否定はできない。しかしながら、やはりアフガニスタン、カブールにも人々の生活があり、ある兵士や、あるジャーナリストがそれぞれ懸命に時を過ごしているはずだ。

 

祈り

 東日本大震災後まもなく、世界各国からの義援金がメッセージとともに日本に届けられた。その中で最も私の印象に残ったのは、アフガニスタンから送られたメッセージで、私には、次にように記憶されている。

アフガニスタン 義援金400万円

「日本にとって大した額ではないとわかっている。だが、これは我々からの感謝の気持ちだ」

  私はこのメッセージに、自分でも意外なほどの感動をした。さきほど、このメッセージを探して検索をして見つけたニュースを見て、より複雑な思いに駆られている。

 

アフガニスタン南部カンダハル州の州都カンダハル市の市長庁舎で27日、自爆テロがあり、アフガン・イスラム通信などによるとグラム・ハイダル・ハミディ市長と民間人の計2人が死亡、護衛1人が負傷した。反政府武装勢力タリバンが犯行を認めた。

(中略)

ハミディ市長は東日本大震災発生後、アフガン政府よりも早く、市から義援金5万ドル(約400万円)を送ると述べていた。

(カブール=共同 2011年7月27日 23:07

 

 10年前に私を感動させたメッセージを送った人物は、「タリバン」に殺害されていた。だからといってタリバンが果たして、「悪」なのかは判断がつかない。今の私にできることは、ただ、関心を持つことだけに過ぎない。

 

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

遥か9,710キロ

Life is very short 

 近頃、書きたいことがなくて困っている。人類の長い歴史を鑑みて、マスクなんぞしなければ外も出歩けない、というのは一過性の事象に過ぎないと思うものの、短い人生の中の1年、2年というのもあまり短い時間でもない。今は誰もが、何かをしない、できない理由について大義名分を持っている。このブログの更新ができないのも、コロナのせいにすれば罷り通るのではないか、と思う。更新間隔が空いてしまい、広告が表示されるので筆を執る次第だ。

 

数字のワナ

近藤紘一と小森義久の共著、「国際報道の現場から」を手に取ってみた。目に留まったのは、「数字のワナ」という小題で単純な数字比較の難しさを、近藤さんが述べている文章である。 

一般には、数字は最も確実な記号のひとつであろう。世界共通して「3」は3、「8」は8であり、それ以外に解釈の余地はない。

 しかし、東南アジア報道者は、この最も普遍的な記号の取り扱いについても苦慮することが多い。

(中略)

 実際に(南ベトナムの首都サイゴンから)六〇キロ圏内で大小の戦闘が頻発していたにもかかわらず、首都住民はどこ吹く風の日常生活を送っていた。道路網が発達した先進国と、そうでない国では、六〇キロの内容がずいぶん異なるからである。ハイウェーの六〇キロは「僅か六〇キロ」だが、密林や沼沢地に覆われた地域では「遥か六〇キロ」ということになる。

  このように、数字というものも、平常時と非常時において、全く違った意味合いを持っている。例えば、企業の業績が好調かどうかを見るとき、多くの企業は昨年よりも大きく改善しているが、一昨年の比べると依然として低空飛行、という事態も一般にみられているはずだ。

 

東京ーパリ間

    次のオリンピックは、近藤さんも過ごしたパリで行われる。現在、東京―パリ間9,710キロを、わずか12時間あれば、移動することができる。しかしながら、今現在は、遥かなる時空の彼方、と言わざるを得ないだろうか。これはなんとも、もどかしいことだ。

 

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