Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

続続はじめないとやる気は出ないよ

正しい道,先見の明

 正しい道、などというものがあるだろうか。振り返ってみて、その道筋が正しいように見える、というのが、そのあり方のように思える。「先見の明」という言葉があるが、先見の明などというものが実際にあるだろうかといえば,甚だ疑問だ。

 未来のことは誰にも分からず、分かりそうに思えるだけだ。世間で「先見の明」と言われるもののなかに、偶然によるものがどれだけあるだろうか。試みに、投資の専門家の予測を見てみるがいい。バブル崩壊リーマンショック新型コロナウイルス…彼らは口を揃えて言うだろう。「予測できない事態が起こった」と。

 

酔拳

 人生も似たようなものではないか、と思う。人は、自らの未来を思い描く。現実は理想と違っていて、「予測できない事態が起こった」と思う。予測できない事態には、もちろん良いものもある。ところが、多くの人が気にかけるのは、「起こって欲しかったのに起こらなかった」事態だ。そうした事態に、人は心を痛め、失った利益を思い悩む。

 ここまでが,バーで5時間ほどウイスキーを飲んだ後,電車の待ち時間に書いた文章だ。ふと,そのような考えが浮かんで書いてみたのだが,どこかで小林秀雄が全く同じようなことを書いていたような気がする。「自分の考え」などというものが,いかに様々な影響を受けて成り立っているものか,と思う。だからこそ,周囲の環境が大切なのかもしれない。

 

はじめないとやる気は出ないよ

 これもきっと本から学んだことだが,私の中にある格言で,「はじめないとやる気は出ないよ」というものがある。これは私のお気に入りで,同タイトルの記事を書いてもいる。書けない日々が続いているから,一度記事を書かせていただいた次第だ。

 

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

 

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

目標

 試みに,目標を宣言してみようと思う。ずっと机に飾ってあるあの本を,再度読み直して記事にする。私は今年,70冊を超える本を読んだ。が,最近書棚を整理すると,「積読」状態の本が30冊を超えていた。整理をすると,今読みたい本がある程度絞られた。

 本には読み時というものがあり,興味を失ってしまった本は手放して次の人に回すのが,良策なのかもしれない。なんであっても,気がかりは少ないほうが良いのだから。

 

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

 

【気まぐれおすすめ本コーナー】※本文とは無関係に,本を紹介(してみる)!

 

 

 

 

 

スファヌボン・パテト・ラオの夏

私は,旅が好きだ。

 沢木耕太郎流に言えば,軽度ではあるものの,旅という病にかかっているのかもしれない。この数か月,何度「旅に出たい」と思ったことだろうか。思い立ったが吉日,とばかりに家を出ることができないのは,「枷」である。

 プライベートジェットでも持っているなら別だが,旅に出るには,公共交通機関に限る。自家用車では,常に道路状況に気を配らなければならず,日常の義務感から解放されるという旅の効果が減殺されるからである。

 一,二時間ほど電車に揺られる間,いつもとは違った景色が目に飛び込んでくる。普段は気にも留めない緑の色合いや,雲の流れに気づく。旅に出たときに,太陽は美しい,などということを実感するのである。観光という言葉はおそらく明治の訳語だろうが,光を観るとはまことにうまい訳を当てたものだ,と思う。

 そのような旅のさなかに,ああこんなことを書こうかな,と思うものだ。つまり,ここまでの文章はブログの更新が遅れた言い訳なのである。書き始めれば,書けないことはない。が,書き上げた段階で公開に値せず,ということも多いのだ・・・。

 

ビエンチャン,8月10日

 さて,本日は8月10日である。近藤紘一の「目撃者」を開くと,1972年「ラオス和平機運【ビエンチャン八月十日】」の記事がある。今から,48年前と考えると,それは随分昔のことのように思える。

 ラオス問題は,先のプーマ首相とスファヌボン・パテト・ラオ(ラオス愛国戦線)議長の書簡の往復や,パテト・ラオ大物特使のビエンチャン入りなどで和平機運が盛り上がっている。

 このように記事が書かれているが,今となっては?何のことやらさっぱりわからぬ。私はラオスについて,首都がビエンチャンであること以外に何も知らぬ,ということに気が付いた。

 ラオスは,サイゴン陥落後の1975年12月に社会主義国ラオス人民民衆共和国が樹立されており,現在の人口は約691万人だという。ブリタニカ国際百科事典によると,スファヌボンは「「赤い殿下」の異名をとるラオスの革命家」で,現代ラオスではかなり重要な人物であるらしい。・・・当面の間ラオスは,私にとって謎の国であり続けるらしかった。

 

 

-閑話休題

競馬の神様

 先日,競馬の神様の本を手に入れた。「競馬の神様」と言われた大川慶次郎は,一日の全レース的中を複数回成し遂げた,競馬好きにとっては著名な人物である。大川は,「競馬場に天皇皇后陛下をお迎えする」ー競馬をロイヤルスポーツの域に格上げする」ことを大目標としていたらしい。実はこの大川は,渋沢栄一の曾孫である。その話題の中で,大川さんにもスポットライトが当たるとよいな,と思っている。

 

 

 そんなことを思いながら,別の本を開いた。1867年,フランスで万国博覧会が開催された。幕府の代表は,水戸藩徳川斉昭の子で,徳川慶喜の弟にあたる徳川昭武。その随員の中に,渋沢栄一が選ばれたことが書かれていた。私は,渋沢栄一との縁が強くなっているのを感じた。願わくば,印刷された渋沢栄一との縁も深くありますように,と思ったりした。

 

あとがき

本日は8月9日であった。慎んでお詫び申し上げる…