Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

満座に響く声

読書の波

  自分の趣味を問われた際は、読書と答えることにしている。しかしながら、私は真の読書家とはいえないのではないか、と思っている。なぜなら、私の読書量には大きな波があり、5冊以上を同時に読み進めて月に10冊読み切ることもあれば、1冊の本が一月で読み終わらぬ、ということもあるからだ。

 今は後者の時期で、職場の休み時間に読み進む吉村昭の「ポーツマスの旗」その一冊だ。主人公の外相小村寿太郎が、アメリカのポーツマスにおいて、日露戦争終結させるポーツマス条約を結ぶ話である。外交の場で、人間同士が武力を排してぶつかり、優れた人間同士が衝突して起きる火花のきらめきが垣間見えるようで、私にとっては大変有意義な読書である。

 

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

 

  ところで、明日で早くも8月が終わる。最低でも月一回の更新を目指すこのブログにとってはドタン場である。インプットが少なければ、アウトプットは難しい。そのような弁解から、思いついたことを書き始めた次第だ。

 

ジャングルの抵抗者

  ポーツマス条約に係る交渉の時は20世紀初頭、ジャーナリズムはすでに生まれ、条約内容についてその日の交渉が終わると日露両国から共同の記者発表が行われる。優れた新聞記者が、外交の最前線で散る火花を捉え、報じることがすでにあったかどうかはわからないが、私は、この交渉史に係るストーリーを読みながら、近藤紘一の「したたかな敗者たち」で描かれた「ジャングルの抵抗者たち」のことを思い出していた。

 

したたかな敗者たち (文春文庫)

したたかな敗者たち (文春文庫)

 

 

 この話については、沢木耕太郎が近藤さんについて書いた「彼の視線」でも次のように言及されている。

 彼(近藤紘一)の東南アジアの観察者としての優れた能力を証明しているのは、たとえば『したたかな敗者たち』の最終章における、ソン・サンという人物の描き方である。

原文からも、ごく一部を引用する。

(・・・圧力に屈して今回の連合政府参加に合意させられた・・・本当ですか?)

 真っ向からの質問に、室内の空気が、突然、はりつめた。

 氏はまっすぐ、質問者の顔を見つめた。

 ひと呼吸置いて、

「イエス!(その通りです!)」

 満座に響く声で、鋭く答えた。

(中略)

 私は、身を硬くして、ソン・サン氏の顔を凝視した。このドタン場で、内部の全てを爆発させようというのか。そしてことをぶちこわし、同時に自爆しようというのか。これが当初の作戦だったのか、とも、一瞬思った。

 思いがけぬ応答に、会場は静まり返った。

 

 部分だけ切り抜いてわかるような話ではないと思われるが、それは決定的なことが起きるかもしれない、という外交の現場だったのではないか、と思う。

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南ベトナム 大統領官邸

 

It's easy to say,hard to do.

  私の生活にも、その「事」や対象が小さなだけで、このように決断を迫られる場面があるとも限らない。対立するという意味ではなく、人とぶつかるためには強い精神力、あるいは人間力といったものが必要とされ、それを鍛えるものは迂遠でも、日々の意識の持ちようしかない、等と思っている次第だ。言うは易く行うは難し、とはよく言ったものだ。

サイゴンで雨に打たれたい

水をあげましょう。

 ベランダのパクチーが枯れた。梅雨入りして油断したこともあり、水やりをサボったのがいけなかったのだが、命あるものにはやはり水が必要だ、と考えさせられた。懇切丁寧に育て上げたいかなるものにも、水は必要なのだ。柔らかく煮た鶏肉にパクチーを添えて食べる海南鶏飯カオマンガイ)を自宅で食べる計画も、当分断念せざるを得ない。

 

旅のベストシーズン・・・

 私がホーチミン、かつてのサイゴンを訪れたのは3月のことで、ベトナム南部は旅のベストシーズンとされている。実際、好天に恵まれ街歩きには最適だった。

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 もっとも、乾いたベトナムの風を浴びてバイクで一日走りまわり、ホテルに戻って麻のシャツを脱いだときには驚いた。日中、ベトナムの大気から絡め取った砂塵が繊維の中に入り込み、驚くほど黒くなっていたからだ。むろん汚れていたのはシャツだけではなく、私はマジェスティックホテルの客の中で、ダントツに薄汚れていたと思う。

 

サイゴンで雨に

 むろん、私はベトナムの空気が汚れている、などどは微塵も思っていない。ただ、そのとき大地が乾燥していたのだ、と思うまでだ。そして私は、思えばサイゴンで雨に打たれたかったな、と、部屋の中で今思っているのである。

 一九七五年三月二十三日、私はサイゴン・タンソンニュット空港へ舞い降りた。夕暮れの空港は、七か月前、常駐特派員としての勤めを終えてここを発った時と同じように、戦時国家のがさつな活気と、南国のおしつぶすようにものうい暑気に包まれていた。

 近藤紘一の「サイゴンのいちばん長い日」の書き出しにこのように書かれている。「ものうい暑気」の片鱗ぐらいは私も感じたのだが、雨季のサイゴンが発する暑熱や、南国の雨を感じてみたかった。一度だけスコール(ただの通り雨)にあったが、ドンコイ通りでフォーを食べているうちに、見る間もなく過ぎ去ってしまった。水たまりをよけながら、ホテルに戻った。

 

夢は枯れ野を・・・

 そんな暑熱を、近藤さんがどのように表現しているかー。そんな一節を探して「目撃者」を開いたのだが、こうやって開いたページに、今まで気付かなかったような言葉が並んでいる、というようなことがある。

 79年に書かれたエッセイ、「名犬「トト」の看病」にある一節が目に付いた。バンコクに赴任した近藤さんがダウンしている場面なのだがー。

 一人異国のベッドで天井を眺めていると、とりとめもなく来し方行く末などに思いをはせ、少々大げさにいえば、ときにもの狂おしいような気分に襲われる。どうせこれまでろくな生き方をしてこなかったのだから、このまま人知れずくたばっても相応の報いだ、などと考える。

 窓の外、南国の景観はあくまで明快だが、仰臥するものの感覚はやはり日本人である。病に倒れた放浪の俳人の鬼気迫る妄想世界が乗り移ってくる。夢は枯れ野をかけめぐるーーこの凄絶な一個の言語表現を残しただけで、間違いなく芭蕉は世界文学史に名をとどめる天才である、とつくづく思った。

 

 夢は枯れ野をかけめぐるーー。これを凄絶な一個の言語表現と、いわば「体得」するには、天才の感性を必要とするか。などと、凡庸な私は考える。