Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

近藤紘一作品の登場人物

作業の日々

 

 年が明けて約2週間、近藤紘一の著作を眺め続けた。眺めた、というのは一つの作業に特化したためだ。作品に度々登場する人物をまとめることで、何かわかることがあるのではないか・・・という観点で作業を始めたところ、思った以上の時間を要した。

 確認した作品は全部で9作品だが、例えばF作品に登場した人物がA~E作品に登場したかどうかは、全くの記憶だよりであったからだ。作業の結果として、登場人物は約400人。対象としなかった「目撃者」のエッセイ以外新聞記事やレポート、「統一ベトナムインドシナ」等を加えれば、その数はさらに増えものと思われる。

 

ランキングについて

 

 作業の成果として、以下にランキングを示す。登場した総回数ではなく、1作品で複数回登場した場合には1回と数えることで、主に1978年~1986年にかけて近藤紘一が継続して記述し続けた重要人物を概ね洗い出すことができたのではないか、と思う。

 

 

登場回数ランキング

 

9回★★★★★★★★

近藤ナウ(ブイ・チ・ナウ)

 

8回★★★★★★★★

ポル・ポト

 

7回★★★★★★★

近藤ユン(ミーユン)

 

6回★★★★★★

グエン・バン・チュー

近藤(萩原)浩子

ホー・チ・ミン

 

5回★★★★★

ゴ・ジン・ジェム

古森義久

グエン・カオ・キ

新井信

 

4回★★★★

ボー・グエン・ザップ

ドゴール

ヘン・サムリン

ロン・ノル

シアヌーク殿下

 

 

3回★★★

フエ

チュン爺さん

ダン衛星軍曹

キッシンジャー

ズオン・バン・ミン ・・・他多数

 

 

コメント

 

 ナウさんが全作品に登場することは順当として、次点にポル・ポトが入ったことが意外であったが、同体制で起きた悲劇と言うものは、それだけのインパクトを持った20世紀の代表的事件の一つであるということだろう。

 4回以上登場する人物は、家族・親しい仕事仲間・一国の首脳が中心となった。3回以下になるとその数がグッと増えてくることになるから、4回以上登場する15人ほどが、近藤紘一の書いた出来事を把握する上で基礎的な知識をもって理解しておくべき人物と言えるだろう。(登場回数でランキングを作ればまた違った結果になるはずだが・・・)もっとも、著作の中で近藤紘一自身が、必要十分な説明を付しているのは、当然である。

 

 

 

 

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直感から至る道

本を買う。

 

 2018年を迎えてしまった-というのは、地に足が着かないまま、目標も定めず1年を過ごしてしまったという後悔の念に堪えないからである。今年こそは、何かに付けて行動せねばならない、と本を数冊買い求めた。探している時には見つからないものが、ふとしたときに出てくるという経験は誰にでもあるだろうが、そのように手に入れることができた本は次の3冊である。

 1 統一ベトナムインドシナ 近藤紘一

 2 アオザイ女房       近藤ナウ

 3 月曜日のカーネーション  吉川精一

 吉川精一は、元NHKのアナウンサーで、著作の中で近藤について触れている。さらに加えて一冊、共同通信社で発行している「記者ハンドブック」を買った。もしかすれば、もう少し統一感のある文章を書けるようになるかもしれぬ、とは期待が過ぎるかもしれない。

 

ノートを作る。

 

 さて、まだ表紙にタイトルこそ付けていないが、「近藤紘一ノート」とでもいうようなノートを作った。好き勝手ブログ記事を書いているうちには、ずいぶんいい加減なことも書いているかもしれない、と反省しきりである。ここ数日で、近藤紘一の著作をとにかく速読し、6冊ほど読破した。

 近場のスターバックスで、隣の受験生が猛勉強?を終えて帰るまでの間、隣には小説を片手にメモを取り続ける私がいたことになる。

 

歴史の捉え方

 

 かつて小林秀雄は、「大衆小説的歴史観」と「考古学的歴史観」というものを批判した。史実や史料を基としない空想も、瑣末な事実への執着も、本来注視すべき歴史を見ることができてない、という趣旨の批判であると私は考える。

 大切な人を亡くした者が、その人を「あんな人だったなあ」と思い浮かべるがごとく、エモーショナルに、感情的に掴むものが真の歴史ではないか。批判された二つの歴史観は、中庸からかけ離れている。

 また、直感から分析へ至る道はあるが、その逆は真ではない、ともいっている。

 

直感から至る道

 

 私の直感かどうかはさておき、近藤紘一の著作を繰り返し読む私は、行間に滲む優しさ、のようなものが感じ取れるように思う。もちろんこれは、その作品によって異なり、必ずしもその作品を貫いているのは優しさばかりではない。しかしながら、没後30年を過ぎても読まれ続ける作品には、一種の力があるに違いない、と思う。

 私は、ノートを取る。些細なことにも気を留める。それは些か考古学的なところがあるのかもしれないが、これは直感から至る道なのだと信ずるしかあるまい。

 ただ、気合いを入れすぎると筆が進まない。多少の「誤差」は御指摘を賜りたい、と、ここで逃げ口上ー <完>

 

 

 

 

エディターズ・ハンドブック 編集者・ライターのための必修基礎知識 (Editor’s Handbook)

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