Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

漂流船の行く末

majesticsaigon.hatenablog.jp

陸地

 漂流した者、つまり余儀なく家路につくことができなくなった者達の願いは、畢竟「陸に辿りつくこと」でしかない、と思う。

 その願いは、帰るべき故郷を持つ者にとっては「家に帰ること」であるかもしれないが、サイゴンが陥落した際にボート・ピープルとして出船した人々の願いは、文字どおり、どこか「自由な大地」に辿りつくことだったはずだ。

 

漂流

 近頃、日本海沿岸に北朝鮮から漂着船が度々流れ着いている。私は、この夏にいくつも読んだ漂流者達の物語を思い出した。日本の近代における漂流事例の多くは、沿岸の航行を目的とした平底の帆船が大風によって流された事例である。

 鎖国政策中の日本においては、大型帆船の造船が禁じられていたことも理由の一つだが、水深の浅い港に入るには、そのような船が利便性において優れていたからだ。

 そして、漂流の事例が多いのが太平洋側である土佐、高知県の沿岸である。土佐は、長い海岸線を持つが良港が少ない。歴史的な良港である神戸、横浜などの優れた港は、悪天候時に避難できる「湾」を有している。

 つまり、長い砂浜の続く地域は、船の避難できる場所がなく、港湾都市が発達しない。これは、九十九里浜などを有する千葉県、隣接する茨城県にも同じことが言える。

 急な悪天候時に、港に入港できなかった帆船は、猛烈な風で損傷し、黒潮に流されることになる。不幸中の幸いとして、伊豆諸島、小笠原諸島に流れ着いた人々が劇的な漂流譚を残している。

 

漂流の先

 海で漂流した船は、動力を失った場合、風と海流に運命を委ねることになる。黒潮に乗り、遠く北方、アリューシャン列島に流れ着いた者もいれば、日本近海で漂流しながらも、吹きやまない西風のために西に向かうのを断念し、ハワイ諸島に向かうことを決定した例もある。太平洋で漂流した者は、広大な海を漂うことになるのだ。

(このハワイアン行の記録は、「無人島に生きる十六人」という本に残されている。そこには、健全でたくましく、善良な、誇るべき日本人の姿がある。)

 これに比べて、日本海で遭難する者には、大きく手を広げるかのように東に日本列島がある。あのような木造船が流れ着くのだから、古代の船も流れついたに違いない、と思う。

 日本テレビ系で放映されている人気番組「鉄腕DASH」では、メンバーがよく漂着物を集めているが、各地には古来から、漂流物の流れやすい地があった。これらの土地について、柳田國男は「海上の道」というものの存在を検証している。海上の道には、古来の伝説から、日本人の起源を探るロマンがある。

 

海に出る

 さて、近藤紘一の著作に、戦時中のベトナムを評し、「この国は、三国志の時代である」という意の言葉がある。これは、ある外国に、我々が常識とする現代的な観点で判断できない事柄がある、ということだ。

 権力に振り回され、命を賭し、あのような貧弱な船で日本海の荒波に向かわねばならない状況のある北朝鮮には、未だ中世的な時代が続いているのかもしれない。

 しかし、かつて波照間島の住民が悪政から逃れ、島の南にあるという幻の「南波照間島」を目指したのと違って、「国に帰りたい」と願う彼らが、やっと辿りついた陸地で金目のものを盗むということは、どういうことなのだろうか。彼らは、中世的な国に生きながら、信仰する神をも失ってしまったのかもしれない、と思う。

 

 

無人島に生きる十六人 (新潮文庫)

無人島に生きる十六人 (新潮文庫)

 

 

 

漂流の島: 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う
 

 

 

海上の道 (角川ソフィア文庫)

海上の道 (角川ソフィア文庫)