Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

次郎の話

 

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

次郎の話

 「次郎の話」というのも唐突だが、近藤紘一の弟は、次郎(つぎお)という。近藤紘一自身によって語られた弟とのエピソードは、戦時戦後の食糧難時に食べ物を奪い合った、という少々シビアな話だが、この記事は次郎(じろう)の話、として続く。先日、古本屋で見かけた白洲次郎の「プリンシプルのない日本」という本を購入したが、このとき私は「次郎違い」をしていた。

 白洲次郎は、吉田茂に請われて終戦連絡事務局参与として憲法成立や、通商産業省の設立に関わり、東北電力会長などを務めた。妻は、数多くの著作を残した随筆家のが白洲正子である。

 しかし私は、「国家の品格」や「若き数学者のアメリカ」などの著者である藤原正彦氏の父で、「アラスカ物語」などの著作がある「新田次郎」と混同していた。少し調べてみれば、藤原正彦の母である「藤原てい」も、「流れる星は生きている」という、戦後の満州からの帰還を記したノンフィクションを発表し、戦後のベストセラーを出している。このような勘違いによっても読書の幅は広がるのだな、と思った次第だ。

 

白洲次郎小林秀雄

 白洲次郎のプロフィールを見て最初に気付いたことは、生年が小林秀雄と同じだな、ということだった。そして実際に彼らには親交があった。小林秀雄の「Xへの手紙」のXとは、小林秀雄と同じく近代批評を確立した河上徹太郎だと言われているが、この河上は白州の家に間借りしていたこともあるようだ。小林秀雄が言っていた知り合いに英語の達者な男がいて・・・というのはおそらく白洲次郎の事だったのだろうと気付いた。

 さて、「プリンシプルのない日本」は、まとまった著作を残さなかった白洲次郎の文章を、(あえてこういう言い方をすれば)寄せ集めたものである。この本の中では白洲次郎がエジプトを訪れた際に、小林秀雄がカイロで待っていた、などと言うエピソードも紹介されている。

    このとき、エジプト大使を務めていたのは近藤紘一の義父、萩原徹(後の駐仏大使)の外務省同期、与謝野秀であった。どうも日本人が外国に行くと駐在大使が出てくる、という時代があったようだ。もっともそれは、彼らが要人であったからかもしれないのだが。

 

「プリンシプルのない日本」

 プリンシプルとは主義、などと訳される。プリンシパルとすれば校長だし、プリマドンナとすればバレエの主役である。プリンスとすれば王子であるから、princ・・・には主要な、といった意味があるらしい。私はどうもこうした横文字はこのように理解をしていかないと腑に落ちない。

 さて、この本を読んで私が思ったことは、近藤紘一の文章に通ずるものがあるな、ということだ。もちろん近藤さんの文章のほうが上手いのだが、共通点は、国を?憂う気持ちであったり、硬質でありながら少し砕けたような語り口と、「自分自身を偉いと思っていない」ところから滲み出る良識といったところだろうか。

 収録された文章は概ね1950~1970年頃のもので、ちょうど近藤紘一の活動期の前に当たる。戦後、所得倍増計画で経済成長を遂げる前の、良識ある日本人がどのように世相を捉えていたか、私には大変興味深いものである。(続)

 

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

 

 

アラスカ物語 (新潮文庫)

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流れる星は生きている (中公文庫)

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祖国とは国語 (新潮文庫)

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