Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

大宅壮一文庫での旅

大宅壮一文庫

 大宅壮一という名前は、このブログの読者の皆様(何人いてくださるか心許ないが――)には、馴染み深い名前だろうと思う。近藤紘一の書いた「サイゴンから来た妻と娘」が、沢木耕太郎の「テロルの決算」とともに、第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しているからだ。

 大宅壮一は「一億総白痴化」などの語録でも知られるジャーナリスト、ノンフィクション作家で、同氏の集めた「雑誌」が、東京都世田谷区八幡山にある「大宅壮一文庫」に雑誌の図書館として残されている。近年はインターネットの普及によって経営が難しくなっているというが、国立国会図書館ですら所蔵していない雑誌を数多く所蔵しているこの館は、ある一定層の根強い支持を受けている。ここに行かなければ、調べられないものがあるのだ。

f:id:Witness1975:20190706224738j:plain

 

調べる情熱のこと

 近藤さんに書かれた書物は、購入できる限り、その多くを入手したと思う。しかし雑誌については、もはや市場には出回っていない。いつか、大宅壮一文庫で資料に当たってみたかった。自分が生まれる前に亡くなっている人について、なぜこのような情熱を傾け、休日を費やし、調べ、考え、想いを巡らせているのか・・・最早私も説明できない。

 しかしながら、調べないことには何も始まらないではないか。私は、数千円の交通費を掛けて現地に向かった。曇天、新宿から京王線の各駅列車に乗り込み、八幡山駅に降りる。改札口の目の前を走る赤堤通りを、南の経堂方面へ向かって8分ほど歩く。歩道は整備されており、都立松沢病院の外構に緑が豊かで、道を一本外れれば閑静な住宅街である。やがて、赤ポストの印象的な大宅壮一文庫の外観が現れる。多くの蔵書を有しているはずだが、2階建の小ぢんまりした印象である。

f:id:Witness1975:20190706221916j:plain

(南方向から撮影)

 

入館してから

 一般の利用者は、500円の入館料(65歳以上半額)を支払う必要がある。追加することも可能だが、500円で閲覧可能な資料は15冊となっている。図書館は閉架式のため、1階に並んでいるパソコンで閲覧したい雑誌を検索して「閲覧・複写申込書」を記入し、2階のカウンターで提出する。係員が該当する資料を探し出し、渡してくれる。

 「近藤紘一」「近藤ナウ」「友田錫」・・・といったキーワードを入力し、検索された候補の中から、既知のもの、地元の図書館で後ほど調べられるもの(私の地元の図書館では文藝春秋などが「永年雑誌」に指定されており、後日探し出せそうだった)を除き、15冊を選び出した。

 

コピー・サービス

 渡してもらった資料を持って、窓から通り沿いの並木が見える席に座った。閉館間近まで集中してページをめくり、気になった箇所をメモしていく。コピーサービスがあるが、1枚80円(国会図書館は30円)と割高で、10枚800円では新刊本が買えてしまう。これも経営難の煽りか、と思う。複写は最低限に抑える必要があった。久しぶりに、自分の筆記速度の遅さを呪った。

 

タイム・トラベル

 私が探した最も古い資料は、近藤紘一の年長の従兄弟である近藤幹雄氏の対談記事である。同紙に関する記事は一誌しか確認できなかったが、1965年に発行された「サンデー毎日」における対談企画である。表紙は三船敏郎石原裕次郎。1ページ目では、ベトナム戦争に従軍する南ベトナム兵が、亡くなった我が子の包まれたゴザを手に、悲痛な表情を浮かべていた・・・撮影者は、ベトナム戦争報道では知られた存在の、岡村昭彦である。近藤幹雄も、朝鮮戦争に従軍していたから、戦争経験者二人の対談となったようだった。

 5時間も集中してこうした資料に目を通していると、目の前の世界が、遠く過ぎ去った過去であることが不思議な気がしてくる。多くが雑誌であるから、近藤さん家族の笑顔や、愛犬、暮らしていた家、壁に掛けた絵、ソファーの色・・・様々な写真を見て、たくさんの言葉に触れた。

 

過去の人達との対話

 何回も繰り返し、同じ本を読む、という経験を近年するようになった。なんだか、作者と対話でもしているような気分になる…などと思っていたが、そんなときに、ルネ・デカルトの「方法序説」で警句に触れた。

「過去の世紀の人々と交わるのは、旅をするのと同じようなもの・・・あまり多くの時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人となってしまう。」

昔から、「過ぎたるは・・・」などというが、なんだか今日ぐらいは、過去の世界を旅していたいような、そんな気がしている。

  

 

 

 

サイゴンで雨に打たれたい

水をあげましょう。

 ベランダのパクチーが枯れた。梅雨入りして油断したこともあり、水やりをサボったのがいけなかったのだが、命あるものにはやはり水が必要だ、と考えさせられた。懇切丁寧に育て上げたいかなるものにも、水は必要なのだ。柔らかく煮た鶏肉にパクチーを添えて食べる海南鶏飯カオマンガイ)を自宅で食べる計画も、当分断念せざるを得ない。

 

旅のベストシーズン・・・

 私がホーチミン、かつてのサイゴンを訪れたのは3月のことで、ベトナム南部は旅のベストシーズンとされている。実際、好天に恵まれ街歩きには最適だった。

f:id:Witness1975:20180910233833j:plain

 もっとも、乾いたベトナムの風を浴びてバイクで一日走りまわり、ホテルに戻って麻のシャツを脱いだときには驚いた。日中、ベトナムの大気から絡め取った砂塵が繊維の中に入り込み、驚くほど黒くなっていたからだ。むろん汚れていたのはシャツだけではなく、私はマジェスティックホテルの客の中で、ダントツに薄汚れていたと思う。

 

サイゴンで雨に

 むろん、私はベトナムの空気が汚れている、などどは微塵も思っていない。ただ、そのとき大地が乾燥していたのだ、と思うまでだ。そして私は、思えばサイゴンで雨に打たれたかったな、と、部屋の中で今思っているのである。

 一九七五年三月二十三日、私はサイゴン・タンソンニュット空港へ舞い降りた。夕暮れの空港は、七か月前、常駐特派員としての勤めを終えてここを発った時と同じように、戦時国家のがさつな活気と、南国のおしつぶすようにものうい暑気に包まれていた。

 近藤紘一の「サイゴンのいちばん長い日」の書き出しにこのように書かれている。「ものうい暑気」の片鱗ぐらいは私も感じたのだが、雨季のサイゴンが発する暑熱や、南国の雨を感じてみたかった。一度だけスコール(ただの通り雨)にあったが、ドンコイ通りでフォーを食べているうちに、見る間もなく過ぎ去ってしまった。水たまりをよけながら、ホテルに戻った。

 

夢は枯れ野を・・・

 そんな暑熱を、近藤さんがどのように表現しているかー。そんな一節を探して「目撃者」を開いたのだが、こうやって開いたページに、今まで気付かなかったような言葉が並んでいる、というようなことがある。

 79年に書かれたエッセイ、「名犬「トト」の看病」にある一節が目に付いた。バンコクに赴任した近藤さんがダウンしている場面なのだがー。

 一人異国のベッドで天井を眺めていると、とりとめもなく来し方行く末などに思いをはせ、少々大げさにいえば、ときにもの狂おしいような気分に襲われる。どうせこれまでろくな生き方をしてこなかったのだから、このまま人知れずくたばっても相応の報いだ、などと考える。

 窓の外、南国の景観はあくまで明快だが、仰臥するものの感覚はやはり日本人である。病に倒れた放浪の俳人の鬼気迫る妄想世界が乗り移ってくる。夢は枯れ野をかけめぐるーーこの凄絶な一個の言語表現を残しただけで、間違いなく芭蕉は世界文学史に名をとどめる天才である、とつくづく思った。

 

 夢は枯れ野をかけめぐるーー。これを凄絶な一個の言語表現と、いわば「体得」するには、天才の感性を必要とするか。などと、凡庸な私は考える。