Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

迷信

現代の迷信 

 私達現代人は、迷信などには捉われてなどいないと思いがちだ。しかしながら、私たちの周りには、実に多くの迷信が満ちているのではないか。近藤紘一がレポートしたベトナム戦争では、ベトナム軍兵士が作戦決行日の吉凶を気にするために戦況に影響が出ることを米軍指揮官が嘆く描写があるが、「迷信を信じている」ということにおいては、現代日本人も彼らを笑う資格などない。

 

根拠のないもの 

 そもそも迷信とは、三省堂の国語辞書によれば、「客観的な根拠のないことを事実だと思い込むこと」だという。この言葉は、明治期によく用いられた国語辞書「言海」には見られないから、比較的最近の用語かもしれない。

 今日にも通ずる最も身近な迷信の一つに、「六曜」がある。先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口に分かれ、結婚式や葬式の際には、時に喧しく主張する人が少なくない。

 

六曜

 この六曜が単なる迷信に過ぎないことは以前から知っていたが、吉村昭のエッセイ「わたしの普段着」の中の「大安、仏滅」の中でその詳細を確認することができた。

 私が如何に吉村さんを信頼していると言っても、これは二次資料であり、ここからの引用を氏は好ましく思わないかもしれないが、六曜の原型は当然に中国にあり、本場中国では、「何の根拠もない迷信であるとして」、「数百年も前に暦の本から姿を消した」らしい。日本でも「江戸時代では迷信に類するものとしてほとんど重んじられていなかった」という。

 例えば徳川将軍の婚姻日を暦に照らして検証すれば、このことは明らかになるだろう、と思う。

 

暦と日本人

  明治5年に旧暦が改められ、太陽暦となった際にも、六曜は「妄誕無稽(うそいつわりでよりどころもない)」であるとして禁じられたという。このあたりの詳細は内田昌男氏の「暦と日本人(雄山閣出版)」に詳しいそうだ。

 明治10年後頃に、禁止の目をかいくぐって恐るおそる出版された六曜入りの暦が多いに売れ、現代にこの迷信は引き継がれているのである。吉村さんはこのエッセイの中で、「迷信であると知りながら、それをやんわりと受け止めるのも人間のおおらかさなのだと思う」と、非常に穏やかな見解を示している。 

暦と日本人

暦と日本人

 

 

雪の花 

 しかしながら、私が続けて読んだ吉村さんの「雪の花」では、この「迷信」が大いなる壁として立ちふさがる。この作品は、幕末の日本で猛威をふるっていた「天然痘」の根絶を願い、異国からジェンナーの確立した「牛痘」を利用したワクチン接種に生涯をかける福井藩の町医の話だが、私はこのストーリーに、現代に立ちふさがる「迷信」の影を見た。 

雪の花 (新潮文庫)

雪の花 (新潮文庫)

 

 

無理解との戦い 

 福井藩の医師笠原良策は、藩の役人や民衆の無理解によって、画期的な治療法をその手の内に入れながら、またも蔓延する天然痘の流行を前に手を拱く。現代に立ちはだかる迷信も、また峻烈な壁に違いなく、放射能に関する問題や、子宮頸がんワクチンの問題はその典型かもしれない。

 たとえばワクチン接種とその「副作用」と思いこまれている事象の間に関連性のないことが明らかになっても、副作用があるのではないかという「客観的な根拠のないことを事実だと思い込む」迷信が消え去らない限りは、民衆のうちでその誤解が解けることはあるまい、と思う。私達の心の構造が、少なくとも数百年来変わらぬものである、ということは、心に留めておいた方がいいと、私は思っている。

 

バカとつき合うな

バカとつき合うな

 

 

満座に響く声

読書の波

  自分の趣味を問われた際は、読書と答えることにしている。しかしながら、私は真の読書家とはいえないのではないか、と思っている。なぜなら、私の読書量には大きな波があり、5冊以上を同時に読み進めて月に10冊読み切ることもあれば、1冊の本が一月で読み終わらぬ、ということもあるからだ。

 今は後者の時期で、職場の休み時間に読み進む吉村昭の「ポーツマスの旗」その一冊だ。主人公の外相小村寿太郎が、アメリカのポーツマスにおいて、日露戦争終結させるポーツマス条約を結ぶ話である。外交の場で、人間同士が武力を排してぶつかり、優れた人間同士が衝突して起きる火花のきらめきが垣間見えるようで、私にとっては大変有意義な読書である。

 

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

 

  ところで、明日で早くも8月が終わる。最低でも月一回の更新を目指すこのブログにとってはドタン場である。インプットが少なければ、アウトプットは難しい。そのような弁解から、思いついたことを書き始めた次第だ。

 

ジャングルの抵抗者

  ポーツマス条約に係る交渉の時は20世紀初頭、ジャーナリズムはすでに生まれ、条約内容についてその日の交渉が終わると日露両国から共同の記者発表が行われる。優れた新聞記者が、外交の最前線で散る火花を捉え、報じることがすでにあったかどうかはわからないが、私は、この交渉史に係るストーリーを読みながら、近藤紘一の「したたかな敗者たち」で描かれた「ジャングルの抵抗者たち」のことを思い出していた。

 

したたかな敗者たち (文春文庫)

したたかな敗者たち (文春文庫)

 

 

 この話については、沢木耕太郎が近藤さんについて書いた「彼の視線」でも次のように言及されている。

 彼(近藤紘一)の東南アジアの観察者としての優れた能力を証明しているのは、たとえば『したたかな敗者たち』の最終章における、ソン・サンという人物の描き方である。

原文からも、ごく一部を引用する。

(・・・圧力に屈して今回の連合政府参加に合意させられた・・・本当ですか?)

 真っ向からの質問に、室内の空気が、突然、はりつめた。

 氏はまっすぐ、質問者の顔を見つめた。

 ひと呼吸置いて、

「イエス!(その通りです!)」

 満座に響く声で、鋭く答えた。

(中略)

 私は、身を硬くして、ソン・サン氏の顔を凝視した。このドタン場で、内部の全てを爆発させようというのか。そしてことをぶちこわし、同時に自爆しようというのか。これが当初の作戦だったのか、とも、一瞬思った。

 思いがけぬ応答に、会場は静まり返った。

 

 部分だけ切り抜いてわかるような話ではないと思われるが、それは決定的なことが起きるかもしれない、という外交の現場だったのではないか、と思う。

f:id:Witness1975:20190830223656j:plain

南ベトナム 大統領官邸

 

It's easy to say,hard to do.

  私の生活にも、その「事」や対象が小さなだけで、このように決断を迫られる場面があるとも限らない。対立するという意味ではなく、人とぶつかるためには強い精神力、あるいは人間力といったものが必要とされ、それを鍛えるものは迂遠でも、日々の意識の持ちようしかない、等と思っている次第だ。言うは易く行うは難し、とはよく言ったものだ。