読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

「美しい昔」への反論6

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

 「美しい昔(美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴンバンコク、そしてパリ/野地著)」への反論は、第6章へと続く。

 

 小林秀雄は、批評とは誉めることだと言っているが、このカテゴリーの文章群は「反論」である。しかし、中傷であってはならず、不正確であってもならないと思う。だから、何度も批判的に文章を読み返している。

 第6章のタイトルは「ホーチミン風景」という。筆者である野地氏が、現代のホーチミンシティを訪れた記録であるから、近藤紘一に直接言及する個所も少なく、かえって細部が気にかかるのかもわからない。

 ホーチミンには街路樹として、マホガニーが植わっているという。マホガニーは堅く良質な木材である。野地氏はその木に触れ、「拳固で殴ったら骨折しかねない固さ」と書くのだが、大抵の木は力いっぱい殴ったら骨折する。

 

 さて、筆者は「近藤がやった庶民の中へ分け入っていく手法の再現」を試み、食堂で食事をしている。ところで、沢木耕太郎は外国についてわかっていることは、わからないということだけ・・・という趣旨の文章を何度か書いている。「パリとは・・・、アメリカとは・・・」ちょっと旅行しただけで、その国のことを分かったように断定することは危険だということだ。

 私も自らの経験を省みると、わずか数週間のヨーロッパ滞在でなんとなくその国の雰囲気を分かったようなつもりになり人に語ったこともある。これは若気の至り、ということにした。

 「美しい昔」を読むと、野地氏はどうもこの種の断定をする傾向があるように思われる。そして私が不思議に思っていることのひとつは、野地氏は沢木氏と面識があり、あるいは文章の書き方を教わった節がある、ということなのである。この点は私の気がかりなのだ・・・。

 

 前述の食堂は、「ドンニャン」と呼ばれるの大衆食堂のようなのだが、ここで野地氏は「思うに、近藤ナウが経営していた食堂とはドンニャンのような店だったのではないか。近藤はそうした庶民が相席しながら食事をする店の一角に座り、庶民が話していた内容を妻に通訳させて聞いていたわけだ。」と書いた。

 しかし、ナウさんが経営していたお店は、近藤の書くところによれば「彼女は、階下の土間を改装して飲み屋にした。」とある。近藤は、食堂の事を飲み屋とは書くまい、と思う。それに、ナウさんは直前までサイゴンのクラブで働いていたのだ。食堂を経営するとは考え難い。さらに私の想像するところの近藤さんは、奥さんの働く場所の一角に座り、会話の内容を通訳させるほど無粋ではないと信ずる。

 

 その後は、ベトナム女性は気が強いことの検証だが、「ベトナム恐妻日記と」言うブログを現地で書いている方がいるようで、いくつか引用がなされており、こちらの方が面白い。

 

 第6章の終盤で、野地氏は「ただ、ひとつ言えることがある。外国人の男性と結婚する女性は親や兄弟の思惑よりも、自分の意思を大切にするタイプだろう。」と書くのだが、外国人の男性と結婚しない女性は、自分の意思を大切にしていないのだろうか。その答えは自明である。

 

 最後に、街路樹であるタマリンドについての記述については、とてもわかりやすいものであったことを付け加えておく。

 

 

タマリンド苗 実生苗

タマリンド苗 実生苗

 

 

 

 

ユウキ タマリンドペースト 227g

ユウキ タマリンドペースト 227g

 

 

 

日本人の国際化について

 現代は国際化の時代とよく言われるが、私にはこのことについて大いに疑念がある。確かに交通手段やインターネットによって、物理的、電磁的に日本と世界の距離は縮まっている。例えば私も留学中の従兄弟と連絡を取ることができ、至極便利である。

 また、スポーツに目を向ければサッカーや野球のワールドカップが開催され、一部の日本人は海外で脚光を浴びている。そうしたことにも拘わらず、見た目に見えるほどに日本人の国際化というのは進んでいるのだろうか?

 

 それは日本人の精神の、国際化の問題と言ってもいいかもしれない。ベトナム戦争終結を見届け、ベトナム生まれの妻子を伴って活躍した近藤紘一(1940-1986)は、確かな国際感覚を持っていたように思う。その近藤紘一の遺した短文の一つに、「知識人の役割とジャーナリスト」がある。その中で近藤は、小林秀雄(1902-1983)を評して、「昨今の有象無象のオピニオンリーダーとはケタも次元も異なる、最高度の知識人であった」と述べた。近藤のわずか数行の文章に影響され、私は小林秀雄を読んでいる。その名前はこれまで触れた本の中でしばしば登場する名前であった。

 

 小林秀雄は近代批評を確立させた人物として知られる。その小林秀雄が評した人物の一人に、文士、正宗白鳥(1879-1962)がいる。小林や正宗が戦前に残した文章の中には、外国での滞在を描いた小文があるが、彼らの描いた問題意識や、外国の感じといったものは、そのまま現代に当てはまることが多いように思う。ましてや、より的確に本質を見抜いているのではないか?と思われる。むしろ70年も、80年も前に書かれた文章の方が、世界に対する距離の近さを持ってはいないか。

 

 もしかすると、日本が海外領土を持っていたということも影響するかもしれない。山月記で有名な中島敦(1909-1942)が書いた「環礁-ミクロネシヤ巡島紀抄-」は、パラオが日本領だった頃の記録である。南洋庁の官吏として赴任した中島は小島を巡るが、それらの島々には日本人の巡査や、校長が、どんな島にもいるのである。領土であるとは、そういうことだ思わされる。無論、原住民への接し方は前時代的なものがあるが、その感覚はその時代の常識であったのだろう。

 

 あるいは、紀行文というものが流行らなくなっただけなのだろうか。海外に滞在し、力のある文章を書くことができる作家がいなくなったのか。文学として読むことのできる、近年の優れた紀行文というものを私は沢木耕太郎の著作しか知らない。もちろん視野の狭い私が知らぬだけということはあろう。

 

 小林秀雄と数学者岡潔との対談で発せられた「世界の知力が低下している」という警鐘は日本にも当てはまり、それは今も続いているのだろうか。

 

 昨今、ヘイトスピーチなどという低俗なものがあるという。近藤紘一は「戦火と混迷のインドシナ」の中で、「四方を海に囲まれ、地続きの国境を持たない私たちは、良くも悪くも、いわば処女的な狭量さを身に付けた民族と思える。狭量さとは、自分たちのそれとは状況の異なる世界で生じていることがらを理解することがきわめて不得手、という意味である。」と述べている。それに続けて、例えば「民族感情」というものの厄介さを理解できていない、と述べる。

 

 近藤は続けて、「ほんの少し前まで一部の日本人が抱いていた”対朝鮮人感情”を思い起こせばいい。明らかに愚劣で、日本人としてなお恥続けなければならぬ感情だが、それは確かにかつて存在したのだ」と書いた。

 「かつて存在した」という愚劣な感情が、いま日本において盛り上がっているとすれば、これは日本人の国際感覚が退化しているということではないのか・・・あるいは世界の情勢を見れば、これは世界の知識の低下なのだろうか。

 

 国際感覚だけではない、開高健(1930-1989)は「政治家の汚職だろうと、個人の私行だろうとモンダイなるものが発生すると、たちまち集団ヒステリーを起こしてシロかクロかの議論だけしかできなくなるニッポン人の全体主義風の心性にはがまんがならないが、これはどうやら根がどこまではいっているのかまさぐりようがないくらいしぶとく、そして卑小である。その心性が明も生みだし、暗も生みだすのだが、今後もずっと肥大し続けることであろう」と述べたが、まさに予言的中と言えるであろう。

 

 現代人が、明治以来の先人を越える国際感覚を持ち得ているとは、私にはどうも思われない。これは私の穿った見方であるのだろうか・・・

 

 

 

 

開高 健 電子全集18 50代エッセイ大全

開高 健 電子全集18 50代エッセイ大全

 

 

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。