サイゴンのちょっと短い日⑭(2018ベトナム訪問記)
独裁者のオウム
サイゴン動物園での時間を満喫した私は、マジェスティックホテルに戻ることにした。その帰り際、鳥類の集められているエリアを通った際に、なんだがでっぷりと、或いはずんぐりとした生き物が視界の端に入った。日本でも動物園には何度も行っているから、お初にお目にかかったわけではないかもしれないが、このように不遜な態度の鳥はいたろうか。もっとも、地べたにいるからちょっとかわいらしく見える気がする。
帰国して読み直してから気付いたことだが、近藤紘一の「世界の動物園」シリーズで、サイゴン動物園が取り上げられた際のタイトルは、「独裁者のオウム」だった。1960年代の南ベトナムには、ゴ・ジン・ジェムという独裁者がいて、その兄であるゴ・ジン・カンも権勢を誇っていた。
歴戦の将軍でさえ彼の眼光に射すくめられると蒼白になるといわれたほど苛烈な性格の持ち主であったそうだが、鳥獣をこよなく愛し、自室にたくさんのオウムを飼っていた
というが、ジェム兄弟はクーデターによって殺害され、オウム達はサイゴン動物園にやってきた。兄弟の祟りを恐れてか、丁重に扱われたゴ・ジン・カンのオウムは、サイゴン陥落を経て、近藤さんが再び訪れた1982年においても健在で、その様子を近藤さんは次のように書いた。
相変わらず、なにかまがまがしい、そして老いを知らぬまなざしで、じっと人々を見降ろしていた。
そのときから、36年が過ぎていた。オウムの寿命がどれほどのものか知らないが、私の出会ったオウムは、「血塗られた歴史」を見ずに育つことができたに違いない。彼らは、戦争が終わって建ち始めた高層ビルでも見上げることにしたのかもしれない。私はその目線から、まがまがしさを感じることはなかった。
ホーチミン作戦
動物園を出て、トンニュット通りを歩き始めると、通りの名前は「レ・ズアン通り」に変わっていた(※私は1975年の地図を片手に歩いていた)。ホーチミンの後継者として、統一後のベトナムを指導した人物の名である。
通り沿いに、「ホーチミン作戦博物館」が建てられていた。サイゴン陥落の際に統一会堂に突入したタンクT-54が展示されている。動物園前の通りは、まっすぐ大統領官邸に向かって伸びている。サイゴン陥落の際に、この戦車がここを直進したのだ・・・
サイゴン解放
ホテルへ帰る途中、壁に戦時中の白黒写真がプリントされていた。アメリカからと思われる団体客が、ガイドの解説を聞きながら歩いていた。
ベトナムを統一した北ベトナムの人々は、「サイゴン陥落」という言葉は使わない。戦車の突入は、まさに「サイゴン解放」の象徴として人々に伝えられている。歴史は勝者が作る、その実例がここにある。