Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

イラン情勢が荒れている

情勢は急転する

「すまないが緊急事態だ。大至急テヘランに飛んでくれ」

二、三週間来、小康状態にあったイランの国内情勢が再度急転して、パーレビ王政の行く手が怪しい、このまま一気に革命に突入して、王政が崩壊することになった、という。何というタイミングの悪さか。こっちは引っ越し騒ぎの真っ最中なのである。

 近藤紘一のバンコク暮らしは、順風ではなかった。2020年の今、アメリカとの関係でイラン情勢は大変な緊迫を迎えている。1979年当時、近藤さんが引っ越しをー奥さんと娘もー放り出して?向かったのは、後に「イラン革命」と呼ばれる取材の現場だった。

すべては1979年から始まった: 21世紀を方向づけた反逆者たち

すべては1979年から始まった: 21世紀を方向づけた反逆者たち

 

 

飛んでイスタンブール

ボンベイ(※現ムンバイ)、ドバイ、バグダードと行く先々で現地入りを試みたが、テヘランのメヘラバード空港がすでに軍により閉鎖されてしまっているので、全便欠航である。結局、はるかイスタンブールまで飛んで、数十時間後、国外脱出に血眼の米国人を救出するために特別救援機に便乗し、ようやく現地にたどりついた

 やがて、パーレビ王政は崩壊し、亡命先のパリから革命の指揮を取っていたホメイニ師が凱旋する。ホメイニの思想に基づくイスラム共和制の理念に基づき、イスラム法学者から選出されるのがイランの最高指導者であり、2020年現在この最高指導者の地位にあるのが1989年、ホメイニの後に選出されたハメネイ師である。

 

想像すること

 今後の情勢がどうなるのかは、予断を許さない。近藤さんは言っている。

いちばん参ったのは町中で血相を変えて騒いでいるヒゲもじゃのイラン人達の発想・行動パターンがどうも私たち純アジア人の尺度では測定しにくいことであった

 インドシナ屋の近藤さんが言うのは、イスラム教徒の考えていることなど理解に苦しむ、と言うことではあるまい。全く違う地域で、違う宗教と生活習慣をもって暮らす人々の行動を「予測する」ようなことが、一朝一夕にできはしない、ということに過ぎない、と思う。彼らには彼らの言い分が当然ながらある。

 「現代」に住む我々は、常に歴史を軽んじる傾向にあるのかもしれない、と思うこともある。ベトナムがかつて南北に分断して争ったことを知らない若者もいれば、イランの王政が革命によって崩壊したことを知らない者もいる。私も近藤さんの著作に出会わなければ、イランの政治体制などについて想像することもなかったかも分からない。

 

2020年

 イラン情勢の緊迫によって、思いもよらずブログを更新した。ブログに関する私の近況は、近藤さんの従兄弟である近藤幹雄氏が登場する「PANA通信社と戦後日本」を購入したものの、私には「朝鮮戦争」に関する知識が圧倒的に不足していることに気がついた。戦後日本は、朝鮮戦争による戦争景気によって急速な経済復興を遂げた、と言うことを除いてはー。

 そこで手を出したのが、「ベスト・アンド・ブライテスト」でベトナム戦争に突き進む1960年代のアメリカ、ケネディとジョンソン政権における安全保障政策担当者たちについても書いた、ニューヨークタイムズの記者デイヴィッド・ハルバースタムの書いた「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」である。私の想像力は今、朝鮮戦争を戦っている。 

 

 

 

ジョーダン

ジョーダン