Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

私の台湾日記②

 私の台湾日記 

(前回のあらすじ)  

 台湾に旅立った私は、台湾桃園国際空港から地下鉄MRTで台北駅に降り立った。なぜか、トレンチコートの男が私に近付いてくる・・・ 

 

 トレンチコートの男は、会話のできる距離まで近づいてくると、「英語はできますか?」と尋ねてきた。私が半ば反射的に、「少しだけね」と答えると、男は矢継ぎ早に本題を切り出した。

 少しだけと言っているのだから、もう少しゆっくりしゃべってくれないだろうか思ったが、聞きとったところによると「この後、飛行機で大阪に行くのだが、電車代を恵んでくれないだろうか。台湾滞在の最終日で台湾の金を持っていないのだ」ということだった。金をくれ、という話だと思うと、私は半ば反射的にこの依頼を断っていた。

 男もまた、それ以上は何も言わず立ち去って行った。男の身なりは小奇麗なビジネスマン風だったし、本当に今だけ金がなかったのかもしれない。しかし、常識人は帰路の金を残しておくものだ。あるいは、私も台湾でいくらかの金を使った後であれば、小銭を渡そうと思ったかもしれない。私は何か、すっきりしない気持を抱え、ホテルの方へ歩き出した。

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タイペイ タイペイ ホステル 

 「タイペイ タイペイ ホステル」という面白い名のホテルを予約したのは、単純に駅から近く、なにより安かったからだ。朝食付きで308台湾ドルは、約1200円に過ぎない。

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 ホテルは清潔で、ドライヤーなども備え付けてあり、スタッフも親切だった。値段を考えれば、最高のドミトリーと言ってよかった。併設されている食堂兼バーもおしゃれに作られている。

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 ホテルのスタッフの英語が、かなり聞き取りづらかった。それは中国語なまりと早口のせいかとも思われたが、私のヒアリング能力不足が大きいのかもしれない。どこに行っても一度ではほとんど聞きとれず、私は日に日に自信を失うことになる・・・

 

街の食べ物

  時間は夜の8時を過ぎていた。私はまず、何か台湾の食べ物を食べたいと思っていた。思いつくのは、魯肉飯(ルーローハン)だが、ホテルの近くを歩いてみると、屋台で小籠包のようなもの売っているのを見かけた。英語表記があり、「ポークブン」というらしい。日本円にすれば60円のポークブンは、肉厚で、スープもしっかり入っており、美味しかった。つい、横浜の中華街ではいくらするだろうと考えた。

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 夕食がポークブン一つというのも寂しく、近くになるべく賑わっている店がないか探したが、ルーローハンを売っている店が見当たらない。よく目に付くのは「牛肉麺」の看板だ。台湾では本当は、この牛肉麺の方が人気があるのかもしれない。ひとまず、これを食べてみるのも悪くない、と考えた。

 先客が複数いる店に近付くと、店員さんが「ワンタン麺オイシイヨ」と日本語で言った。「エビワンタン麺オイシイネ、ビールもあるよ。」私は、深いことは考えず素直に従うことにした。f:id:Witness1975:20181202142955j:plain

 麺とスープは、沖縄のソーキそばに近い。エビワンタンは大きく、日本のワンタンの4倍ほどの大きさと思われた。近藤紘一の著作の中で、日本に来たばかりの妻ナウさんが、「衣ばかり大きなエビフライにがっかりし、日本はお金持ちの国と聞いていたのに・・・」とがっかりするシーンの描写がどこかにあったことを思い出した。台湾は、やはり食の豊かな国なのかもしれなかった。

 

どこへ行こうか

  このあと、日本に帰るまでの予定で決まっていることは何一つなかった。短い旅なのだから、もっと計画的にしても良いかな、とも思う。それでも、当日の思いつきで動く面白さもあって、ガイドブックを読みこむのがもったいないような気もしてくる。ドミトリーの狭いベッドの中で、やっぱり、なんとなく台湾東部に行ってみようか、と思った。

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 早起きして、一番早い時間帯の急行電車、台湾鉄道の「莒光号(きょこうごう)」に乗ることにした。駅構内ではセブンイレブンが営業しており、新聞と港風?肉まんを買った。「アツアツがおいしい」と書かれていた。

 

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