BANANA FISH サイゴンからはじまる物語
BANANA FISH
本屋を歩いていると、レンタルコミックの棚に見慣れない漫画の置いてあるのが目に付いた。題名を「BANANA FISH」という。すぐ横にポップが置かれており、 7月5日からノイタミナ枠でアニメが放送されることが決まっていると書かれていた。
ニューヨーク。並外れて整った容姿と、卓越した戦闘力を持つ少年・アッシュ・リンクスは、17歳にしてストリート・ギャングをまとめ上げていた。
ある夜、アッシュは自身の手下によって銃撃された男からある住所とともに「バナナフィッシュ」という言葉を伝えられる。
それは廃人同然の兄・グリフィンがしばしば口にする言葉だった。
時を同じくして、カメラマンのアシスタントとしてやってきた日本人の少年・奥村英二と出会う。(アニメHP”STORY”より引用)
私は気まぐれでこの漫画を借り、その第一巻を読み終えたところだが、2ページ目を開くと次のように書かれていた。
私にとっては、ずいぶん見慣れた字面だった。サイゴンが陥落したのは1975年の4月30日のことである。とすれば、この漫画の冒頭シーンは、1973年の6月、ということになる。1973年の1月27日に結ばれたパリ協定が、アメリカのヘンリー・キッシンジャーと、北ベトナムのレ・ドクトらの間で結ばれ、ニクソン大統領のもと、アメリカがベトナムから手を引くことを決めた時期のことだ。作中でも、少年アッシュ・リンクスの出会う「マックス・ロボ」が次のように語っている。
前の戦争
日本で戦争、といえば大東亜戦争、第二次世界大戦のことを指すことは疑いがない。しかしながら、終戦間もないころは、第二次大戦をこの間の戦争、「前の戦争」といえば、日露戦争のことだった。
例えば、作家の正宗白鳥は、今度の戦争(第二次大戦)では日本は負けるだろうと思った、そしてそのとおり負けた。ただ私に先見の明があるとは思わない、なぜなら、前の(日露)戦争のときにも日本が負けるだろうと思っていたが、その戦争には勝利したからだ、といった趣旨の事を書いている。
今、アメリカで「前の戦争」、といえばイラク戦争のことだと思われるし、1970年代に戦争と言えば、やはりベトナム戦争だったに違いない。
ベトナムのどこかで
「ドン・タム」の場所がどこなのか、正確には分からないが、BANANAFISHの冒頭で登場する人物がいる場所は、おそらく北ベトナム軍のゲリラが潜む、ベトナムの密林地帯の中にある。私自身、以前に何かの映画で見ているかもしれないが、踏み固めた地面に、煉瓦の壁といった兵士宿舎の様子は、近藤紘一の著作や、開高健の「夏の闇」などで描かれている様子そのものだ。登場人物の一人が不可解な行動を取ったあと、「バナナフイッシュ」とつぶやき、物語は1985年に移る。やはり、この頃のアメリカには、ベトナム戦争の影が色濃く落ちていたものと思われる。
1980年代に近藤さんの翻訳した「野望の街」にも、ドラッグを始めとして、同様の社会問題が見られるからだ。
サイゴンの730日
さて、BANANAFISHの主人公アッシュが出会う「マックス・ロボ」という人物は、「グリニッヂ・トリビューン」のコラムニストとして、「サイゴンの730日」という本を書いたとされるが、おそらくこれは架空の設定だろう。
一方、アッシュがこれより面白いと評する、W・バーチェットの「ベトナム解放の闘い」は実在している。
マックス・ロボは、自身の書いた本をアッシュが読んでいたことを喜び、「その本もオレんだ!」と述べるが、アッシュからは次のような返答がある。
あんたはコラムだけ書いてた方がいいんじゃないの?
なんで落ちこむんだい ホメたつもりだぜ
あんたのコラムはヘタな小説よりよっぽどおもしろいんだから
ぶきっちょなルポものなんかより
コラムだけにしぼったほうがいいっての
私はちょっと、近藤さんの文章を想った。1980年代、ベストセラーとなった近藤さんの作品を、この漫画の作者が読んでいてもなんら不思議はない。もしそうなら、これは親愛の情から来る文句だろう、と私は解釈しておくことにする。
バナナフィッシュ
バナナフィッシュと言う言葉は、村上春樹が「ライ麦畑で捕まえて」として翻訳したことでも知られる「THE CATCHER IN THE RYE」の作者、J・D・サリンジャーの短編から採られたらしい。この言葉の謎と、物語の結末は、私もまだ知らない。