Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

サイゴンのちょっと短い日⑪(2018ベトナム訪問記)

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

トンドクタン通り

 

 私は結局のところ、マジェスティックホテルに泊まれることになった。クレジットカードは、ホテルでは有効に機能したらしい。腕時計に目を遣ると、ちょうど12時だった。もっとも、時計を現地時間に合わせていないため、実際には午前10時である。   

 ホテルのチェックイン時間は14時と表記されていたが、ホテル側の好意なのだろうか、12時には部屋に入れるという。それまでの間、私は周囲をぶらつくことにした。

 荷物をホテルに預けて身軽になると、サイゴンに「私の城」ができたように思えて嬉しくなった。ホテルを出て、サイゴン川沿いを走るトンドクタン通りを北方に歩き始めた。(下の写真右方向が北)

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 ホテルとサイゴン川の間を走るトンドクタン通りは、非常に交通量の多い通りである。近くに信号機はなく、車の切れる気配がない。横断歩道はあるものの、サイゴン川沿いに渡るまで、それなりの時間を要した。

 他の通りについては、「恐れず止まらず一定のペースで歩く」ことを心掛ければ、ある程度車の流れがあっても渡り切ることができるのだが、この通りは別格だった。

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「トンドクタン通りの向こうからのマジェスティックホテル」

 

リバーサイド

 

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 川沿いのベンチに座った。みんな、数少ない街路樹の影を探し出して休んでいた。私の選んだささやかな日陰は、サイゴンの日差しから身を守るには足りなかった。

 昼が近付き太陽が昇るにつれて、南国の本領発揮といった趣である。たまらずに再び歩き出した。

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 少し北方面に歩くと、兵器のオブジェが置かれていた。兵器は、北方のビエンホア方面に向けられている。つまり、南ベトナム軍から北ベトナム軍側に向けられているのだ。ハノイからすれば、自らに向けられた大砲を、このように置かせているのはなぜなのだろうか。サイゴンの人々は今でも、北に敵対心を持っているのか、それとも誰も気にしていないのか、共産主義政権として思想までも取り締まったハノイの策としてはどうも腑に落ちないところがある。

 公式ホームページに記載はないが、マジェスティックホテルですら、「クーロンホテル」と名を変え、共産主義よろしく全てのホテルは同一料金、という時代もあったのだから・・・。

 

<⑫へ続く>

 

1000文字で分かる「近藤紘一」 - Witness1975’s blog

 

(蛇足)

 次のような看板を見かけた。「ぎじゅつ」と表記するのは、偽物のクオリティなのか、平仮名なら読める人が相当数いるのか、或いは漢字が多くなると出てくる「中国感」を避けるためなのか、調べたところ、偽物説は消えたものの、その理由が気になるところである。

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