Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

サイゴンから来た妻と娘の結末 -彼の名は-

サイゴン陥落

 1975年4月30日、サイゴン陥落ー。

 長く続いたベトナム戦争終結を見届けた新聞記者、近藤紘一は、サイゴン陥落直前の状況を次のようにレポートした。

 

 サイゴンはいま、音を立てて崩壊しつつある。つい二カ月前、いや一カ月前まではっきりと存在し、機能していた一つの国が、いま地図から姿を消そうとしている。信じられないことだ・・・

 

サイゴンのいちばん長い日 

 近藤さんが目撃することとなった南ベトナム共和国崩壊の瞬間と「その後」は、大宅壮一の編集した「日本のいちばん長い日」になぞらえて、「サイゴンのいちばん長い日」として刊行された。

 しかし、サイゴンで人々の暮らしに溶け込みながら日々を過ごしていた近藤さんにとってのその一日は、「長くて短い日(あるいは短くて長い日)」と感じられたという。近藤さんは、「現在をもってそちらの業務を停止し、脱出に全力を尽くせ」という絶対社命を受けながら、自らの意思でその激動の中に身を置き、歴史の目撃者となることを選んだのだ。 

  

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もう一つの物語 

 そして、この事実とは別に、近藤さんにはもう一つの物語があった。この物語こそが「サイゴンから来た妻と娘」である。近藤さんにとって2作目の作品となったこの本は、1975年4月9日、戦況の悪化するサイゴンから南ベトナム国籍の妻、ナウさんを日本に送り返す場面から始まる。南ベトナム唯一の玄関口であるタンソンニュット空港が陥落すれば、ベトナム国籍の彼女の出国は困難になるだろう、と思われた。

 8か月前の74年8月、近藤さんは、サンケイ新聞サイゴン支局長としての任期を終え、妻であるナウさん、娘のユンちゃんとともに日本に帰国していたが、戦況の悪化を受け、社命によりサイゴンに戻っていたのだ。

 日本に娘を残し、妻を先に帰国させた近藤さんは、前述のサイゴン陥落の一部始終を見届け、24日後に出国記者専用機で日本に帰着することになる。いわば「サイゴンから帰ってきた夫、そして父」として、日本で過ごす近藤一家の日々が、「サイゴンから来た妻と娘」に収められている。

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サイゴンから来た妻と娘 

 当時は今よりずっと国際結婚の珍しかった時代である。1970年代前半、沢木耕太郎が後に「深夜特急」として描かれる旅をしていた頃、外国に向かう人にカンパをするというのも不思議なことではなかったと思われるし、インターネットのない時代に異国に触れるカルチャーショックというのは、現在の比ではない。 

 しかし、描かれるのは、ベトナム式子育て法・食生活といった文化の違いだけではなく、祖国を失った妻、思春期を迎える娘との日々の暮らし・・・暖かく、ユーモアに溢れた家族の記録である。この暖かさには普遍的なものがあるのではないか、と思う。

 

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物語は

  さて、この記事のタイトルには「結末」という文字を使用した。yahooやGoogleの検索窓に「近藤紘一」と打ち込むと、近藤紘一とその家族に訪れる「衝撃結末」という情報がヒットするからだ。そのような結末は実際なかったのではないか、と思われるし、両論併記に当たるものとして、この記事にも多少なり存在価値があるのではないだろうか、と思う。

 30年以上も読み継がれる近藤紘一の作品には、ある種の力があり、魅力があるということは間違いがないように思える。私たち読者の正しい態度は、近藤さんの描く家族の物語を、近藤さんの描くそのままに受け取ることではないか。 

 

これからの読者へ 

 この記事には「続き」がある。しかし、これから「サイゴンから来たと妻と娘」を手に取ろうとし、あるいは近藤紘一の他の作品に触れようとする人があるならば、とにかく近藤さんの残した「原文」を読んで頂きたい、と思う。

 この素晴らしい新聞記者、作家である近藤さんの作品はあまりにも少ない。その作品を読破してしまった者にとって、近藤さんの精神に触れる術があるならば、それは近藤さんの作品を熟読玩味すること以外にはない。

 しかしながら、このブログが私にとっても、あるいはあなたにとっても、近藤さんの作品を熟読玩味するための一助になれば、と細々と書き続ける次第である。

 

         ブログ管理人  藤沢 遼一

 

<近藤紘一さんに関する当ブログ記事>

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

 

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

 

 

 

 

 

 

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 【続き】

 

 

 

 言葉への願い 

 ・・・「サイゴンから来た妻と娘」は、「バンコクの妻と娘」、「パリへ行った妻と娘」へと続いていく。近藤さんはインドシナ地域の優れたウォッチャーとして取材活動を続けて行くとともに、ある信念を持って娘を育てた。それは決して、娘を「祖国を亡くした根なし草(デラシネ)」にさせない、ということだ。

 かつてフランスの植民地であったベトナムの学校において、ごく初歩的なフランス語を習っていた娘をフランス語学校へ進めると、ときには厳しく娘にフランス語を叩きこんだ。

 

途上の死 

 やがてユンちゃんは立派に成長し、フランスの大学進学試験に相当する「バカロレア」に合格するまでになる。あるとき、まだ成人しない「パリへ行った娘」のために、ナウさんもパリに向かった。

 

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 この頃、ナウさんはパリでアパートを買い求め、娘とともに暮すことになる。ここを娘時代のナウさんの彼氏であったという「ボロー氏」が訪れていることが、「パリへ行った妻と娘」において描かれている。おそらくこうした出来事を指して、近藤さんが日本に取り残され、妻と娘がパリで知らない男と暮らしている「衝撃結末」というデマのもとになったのではないかと思う。

  しかしながら別の理由で・・・近藤紘一を語り手とする暖かな家族の物語は、近藤さんの早すぎる死によって一度幕引きをすることになる。

 

 

 

エピローグ

  しかし、我々読者と同じように、現代のパリで暮らしている彼ら彼女らの生活に、「物語には結末がある」という理由で、結末を設けるならば、事実としてこのようなエピローグが語られるかもしれない。

 

 大人の女性となったユンちゃんは、やがて作中に登場するフランス人の青年ピエールと結婚し、二人は男の子をもうける。

 

 彼の名は、ジュリアン・コウイチ。

 

 近藤紘一の孫である。コウイチの物語は、今も続いている-と。

 

 

妻と娘の国へ行った特派員 (文春文庫)

妻と娘の国へ行った特派員 (文春文庫)

 

 

2018.5.7更新