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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

夏の海、近藤家と萩原家

 「サイゴンのいちばん長い日」の作者として知られる近藤紘一には、「サイゴンから来た妻と娘」シリーズの著作があるが、近藤紘一には若くして亡くなった前妻がいた。近藤は、湘南高校から進学した早稲田大学の仏文科において、駐仏大使萩原徹の娘、浩子さんと出会う。二人の事については、近藤の書いた文章群の中でも一際美しい、「夏の海」という短編に詳しい。

 

 さて、1960年頃に出会い、やがて結婚する二人の出会いは、仏文学がもたらしたものかもしれない。近藤家は医家である。近藤紘一の父も、祖父も、曾祖父も、みな医者であった。日本の医学界においては、ドイツ医学の影響が強い。現在でも、ドイツ語である”カルテ”にドイツ語由来の言葉が並ぶ。例えば「胃」ならば、英語であるストマックではなく、ドイツ語のガストホフが使用されているだろう。

 このように、当時最先端の西洋医学はドイツから入ってきた。祖父、近藤次繁もまた西洋に学び、日本に帰国後は、東京帝国大学のお雇い外国人スクリバに師事した。近藤紘一が医学の道を志したならば、医学部でドイツ語を習っていたかもしれない。

 しかし、仏文学に傾倒した紘一は、仏文科を目指した。このことは後に、かつてフランスの植民地支配を受けたフランス語圏、ベトナムにおける取材活動につながることになる。

 

 フランス文学というものは隆盛を誇っていたから、文学青年ならば仏文科を志すことに不思議はない。小林秀雄をはじめ、仏文科に進んだ人物は多い。しかしながら、もし、近藤紘一に影響を与えた人物が身近にいたとしたら、それは近藤紘一が信頼していた従兄弟の家系、叔父たちであったかもしれない。

 

 近藤紘一の叔父の一人に、法曹界で名を成した人物である近藤綸二がいる。彼の後輩格には、『日本人の法意識(伝統的な日本の法意識においては、権利・義務は、あるような・ないようなものとして意識されており、それが明確化され確定的なものとされることは好まれない)』などで知られ、法律界では知らぬ者のない川島武宜などがいる。この近藤綸二は、バルザックをはじめとするフランス文学に通じており、フランス文学に関わる知人も多かった。綸二の息子であり、紘一の10歳年長の従兄弟にあたる幹雄を通じてフランス文学への興味が湧いたとしても、特段の不思議はあるまい、と思う。

 

 さて、この近藤綸二を通じて、近藤家と前述の萩原家は、運命的な(とは大仰にすぎるかもしれないが)出会いをすることになる。1960年、紘一と浩子さんの出会いから数十年前のことである。

 ある夏の事、近藤綸二は逗子の別荘において、国内屈指のフランス系カトリックの名門として知られる暁星小学校に通う少年に、水泳を教えることとなった。この少年こそ、後の駐仏大使萩原徹であった。

 

 こうしたことは、もしかして当人たちの話題にも上がったのかもしれない。数十年の時を経て、近藤家と萩原家の血を引く二人は、再び「夏の海」を訪れることになる。

 

 

 

 

 

目撃者-近藤紘一全軌跡1971~1986

目撃者-近藤紘一全軌跡1971~1986

 

 (夏の海収録)

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。