Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

時代を考える

    小林秀雄という人が有名な文士であり、批評家であるということは私も知っていた。近藤紘一の言葉によれば、現代における最後の知識人、ということになるだろうか。私がこれまで読んだ本のなかにも、小林秀雄という名は度々現れ、沢木耕太郎、近藤紘一の二人も高く評価しているという点が、その著作に触れるきっかけとなった。

 

    考えるヒント、というシリーズはかなり売れた部類に入るのだろうが、その視点の古びていないことに驚かされる。昭和20年代、戦後まもなくに書かれた文章が、2016年にあっても、である。

 

    小林秀雄は、ものしり人というものを批判した。現代の人は、すぐに答えを知りたがる、という。耳の痛い言葉である。知識を得ることと、本当に物事を知るということは別のことなのだ、わかる、ということは難しく考えるということなのだ。小林秀雄の書く文章は、知っていることを書いたものではないから、決して古びることはないのだろうと思う。

 

   小林秀雄が歴史について考える、という講演をおこなったときの言葉に、昔の人の考えたことというのは、昔の人が考えたように考えなければならんということがある。

 

    例えば、天動説というものがある。今では地球が自転し、公転しているということは小学生でも知っている。しかし、我々はそれを教科書で知っただけなのだ。昔の人は、太陽が昇り、季節によって変わる星座を見て一生懸命に考えたに違いない。だから、現代人が昔の人を馬鹿だった等ということは決してできないのだ。それは決して馬鹿なことではなかった・・・

 

    こうしたことと直結している訳ではないのだが、最近は、近藤紘一の時代というものが私のなかで強く意識されている。1975年~1986年にはどうだったであろうか、ということである。

 

     大上段から始まった話だが、話は代わり、先日、サッポロビール博物館を訪れた。サッポロビールはその流れを黒田清隆を長官とする北海道開拓史に持つ。その後サッポロビールは恵比寿ビールとアサヒビールと合併し大日本麦酒会社となり、独占禁止法の施行により、エビスを含むサッポロビールと、アサヒビールに分社化されたのだという。

 

    そしてサッポロビールの歴史に合わせて、その製品も紹介されており、1975年に販売されたサッポロ黒ラベルを眺めて私は思った。近藤紘一もこれと同じサッポロ黒ラベルを手にしていたのかもしれないな、と。

 

     ただし、近藤紘一は酒は不得手であったから、サッポロ黒ラベルの瓶を手に取ることもなかったかもしれないのだが。


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