Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

「パリの近藤紘一」~ベトナム・ストーリーズ~

 私はかつて、新聞記者になりたい様な気がしていた。大変ぼんやりとした希望であった。あるいは、近藤紘一に早く出会っていたら新聞記者への道を志し、道を踏み外し?ていたかもしれない。

 

 さて、神田憲行さんというライターが、「パリの近藤紘一」という文章を発表している。「ベトナム・ストーリーズ(初出はアジア大バザール)」に掲載されているこの文章は、近藤紘一が勤めているから、サンケイ新聞社に入社を検討したという著者が主にベトナムについて書いた文章群となっている。

 

 著者自らが語るように、神田さんは近藤紘一に大きな影響を受けたという。ライターとなった神田さんは、近藤紘一の取材を試みる。2000年、近藤紘一の没後14年、神田氏37歳の時のことだった。

 

 そして、ツテを辿ってパリに住むナウさんとユンさんを訪ねてインタビューを行った。もし、近藤紘一について書かれた文章を読もうと思われたなら、この「パリの近藤紘一」をぜひ読んでもらいたい。私たちが知る近藤紘一の気配を色濃く感じることができるのではないか、と思う。

 

 私がこのブログを書き始めたのは、ある人物の書いた近藤紘一に関する文章に憤りを感じたからである。そんなはずはない、本当にそうなのか・・・そう思いながら読み切った。そして私はこの微力を自覚しながらも、その文章に反発したかったのだ。

 

 「パリの近藤紘一」の一節を引用すると、「ー(ナウさんとユンさんの)二人は近藤紘一の一連の本に紹介してあるそのままの生活を送っていた。本人たちも当時の話も、本のままだった。いや、ひとつ違っていたことがある。結婚の経緯であるー」とあったし、ナウさんが年に一度は日本に帰り、近藤紘一の高校時代の友人、元同僚、担当編集者達に会うことを楽しみにしている、ということを聞きとっている。

 

 私はページをめくるたびに嬉しくなった。2000年に神田さんの文章が発表されてから、前述のある人物の書いた文章が発表されるまでには13年の間がある。その間に近藤紘一の関係者にも様々な変化があったかもわからない。しかし、その文章が匂わせる人を貶めんとする意思と、神田さんの素直な筆致を鑑みれば、そのどちらが真実を伝えているかは自明なのではないか。

 

 神田さんはこう書いた。

 

 「もしかなうなら私は天の近藤紘一に伝えたい。あなたの友人はいつもあなたの妻と娘を大切に守っている、と。」

 

「パリの近藤紘一」(ベトナムストーリーズ/アジア大バザール)神田 憲行 2000

 

ベトナム・ストーリーズ

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アジア大バザール (講談社文庫)

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