Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

近藤紘一の時代

私は今、雨に降り込められている。稀にやってくる大雨に忽ち都市機能は麻痺し、道路はブレーキランプの赤に染められている。(素人があまり小説らしい文章を書くと、寒々しくていけないな、と思う。)ところで、宮崎駿は、こうしたブレーキランプの列を見て、怒り狂う王蟲を描いたのだったか。いずれにせよ、我が家への道は冠水した道路によって封鎖されている。

このバケツをひっくり返したような雨で思い出したのは、熱帯地域で降り注ぐスコールのことだ。思い出したと言っても、私が旅した(というと大袈裟になるが)クアラルンプール、マラッカ、シンガポールでは時期のせいか大雨に見舞われることもなかったから、テレビや伝聞に聞くイメージに過ぎない。
きっとベトナムだったら、この程度の雨で渋滞が起きることもなかっただろうと、ふと思ったのである。もっとも、近藤紘一の過ごしたサイゴンは今から40年も前の世界であるから、急速に経済発展するベトナムにおいてはどうかわからない。

沢木耕太郎深夜特急でヨーロッパを旅したのも1970年代半ばのことであった。文章の鮮やかさ、文章の腐りにくさのせいか、それほど昔のこととは思えなかったことを覚えている。近藤紘一の書く文章も然り、である。ところで、二人の文章に共通して登場するものがある。それは時代が同じことを理由に登場してくるのだが、連絡手段としての電報である。

沢木耕太郎は、ロンドンの中央支局から電報を打とうとし、近藤紘一はナウさんから金を大至急送れと督促を受ける。電報に託される短文には、今この手にあるスマートフォンで作られるメールとは比べ物にならない情報量が込められていたのではないか、と思う。

変わったのは、通信手段だけだろうか。近藤紘一の著作に現れる人々に比べて、現代人は、といえば浅薄だが、人は軟弱になってはいないだろうか。それは私にとっても、言えることなのだが…

深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール (新潮文庫)