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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

近藤紘一の義父、萩原徹。

 1964年、近藤紘一は前妻の浩子さんと結婚した。夫妻は早稲田大学を卒業した23歳で、近藤が務める支局に奥さんが迎えに来るなど、文字どおりの新婚時代であった。

(当然のことながら)結婚と時を同じくして近藤の義父となった浩子さんの父、萩原徹は、近藤にとって「一人の男が最も自然に、そしてその語の響きを生かして“パパ”と呼べるただ一人の存在だった。」。(目撃者「パパのこと」より)

 

 私が確認した限りにおいては、近藤に関する書籍の中で、萩原徹ついては一貫して「元駐仏大使」と紹介されているように思うが、その経歴を調べてみると萩原は1945年の終戦時には外務省条約局長,1952年頃にはスイス公使,1961年~1967年には駐仏大使,1972年に世界遺産条約が採択されたユネスコ総会で日本人として初めて議長を務めるなどしている。

 

 ところで,財務大臣を務めた与謝野馨の父,与謝野秀(与謝野鉄幹・晶子の次男)は萩原徹と外務省に同期入省している。現在の国家Ⅰ種(キャリア官僚)試験に相当する文官高等試験外交科(外交官及領事館試験)の合格者として,1927(昭和2)年の第36回試験に、共に東大法学部からストレートで入省した同期としてフランス書記生採用された萩原徹と与謝野秀の名前がある。(※同試験の第4回合格者には幣原喜重郎,第15回合格者には広田弘毅及び吉田茂,第50回試験の合格者には宮沢喜一らの名前が確認できる。)

 同期入省の縁からと思われるが,昭和21年,空襲により焼け野原となってしまった東京で住家を失った萩原家は,麻布にあった与謝野家の借家を頼り,一時共同生活をしたことが与謝野馨により語られている。与謝野馨の2歳下である浩子さんも同時期にこの借家に住んでいたのだろう。

 

 やがて条約局長の任を離れた萩原徹は、次の赴任地スイスに渡ることになる・・・次回記事では、その経歴にもう一歩踏み込んでみたい。

 

 

与謝野馨公式HP 私の歩んできた道(7)

http://www.yosano.gr.jp/history/history_20151203.html

 

 

A06 地球の歩き方 フランス 2016~2017 (地球の歩き方 A 6)

A06 地球の歩き方 フランス 2016~2017 (地球の歩き方 A 6)

 

 

 

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。