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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

晩年の父台五郎と、近藤紘一

近藤家の人びと

 私は近藤紘一の著作を読んでいて、家族の話の中に実家の親族がほとんど出てこないことに多少の違和感を覚えていた。その違和感は、おそらく近藤紘一は医師である父近藤台五郎とはあまり良い関係にないのではないか、という推測と置き換えても差し支えない。

 医師である父と、跡目を継がない息子というのは、いかにもステレオタイプな不仲の親子の類型に思える。まして外国人の妻と娘を勝手に連れ帰ってきたのだから古風な考えを持った人物であれば、円満な関係を築くことは難しいのではないかと考えた。

 近藤紘一の死に際しても、胃がんの権威である近藤台五郎の息子である紘一が、胃がんで亡くなるというのはあまりにも皮肉な話ではないか…この親子はついに和解することはできなかったのだな、と考えていたのだ。

 しかし、この推測は悲観的に過ぎたかもしれない。近藤紘一の遺稿集「目撃者」に収められた非常に短いエッセイの中に、「異国暮らしのあとの久しぶりの故郷」という文章がある。長い間南の国で暮らした後に、紘一が「故郷のようなもの」と呼ぶ湘南、逗子に帰り、20年ぶりに両親と暮らした時の文章である。高度経済成長期に田舎とは呼べなくなったこの地域への感慨と共に年老いた父に対する想いも述べられている。

 ここで、冒頭の推測は正鵠を得ていたと思わせる記述がある。紘一は父台五郎を「常に巌のように傲然と私の前に立ちはだかり続けていた峻烈で冷厳な“壁”」と形容しているのだ。医学界に残した功績も大きいが、おそらく厳格な人物であったのだろう。しかし、そのエッセイで台五郎は紘一に向かって「ときにお前、もう少しこの家で羽根休めするんだろうね」と声をかけている。紘一はこの言葉に、父の老いを感じ、時の流れの冷酷さを感じたのだろうが、それは時間の経過による和解とも言えなくはないだろうか、と思う。

 そして紘一が胃痛を訴え続けていたころ、台五郎はしきりに病院での受診を勧めていたという。それは一人の読者である私にとって、せめてもの救いとなった。

 

 

無名 (幻冬舎文庫)

無名 (幻冬舎文庫)

 

 沢木耕太郎は、父のことを「無名」という作品に書いたという。近藤紘一にもその時間があったならと思わずにはいられない。「無名」は父がまだまだ健在の私にとっては、まだ読むのが早いかな、と数少なくなった未読の沢木作品である。

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。