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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

「美しい昔」への反論3 

 野地秩嘉氏(以下、当ブログでは敬称を略し、野地という)の「美しい昔」への反論は第2章「家族と友人が見た近藤紘一」に対するものへと移る。私としてはつまらない揚げ足取りに終始しないようにと心掛けているが、その成否は読者の判断に委ねるしかあるまい。

 

 近藤紘一も存命なら既に75歳を超えているから、2013年時点でも近藤紘一より年嵩の多くの方が亡くなっている。自然、証言を得られるのは近藤紘一の年少者ということになる。親友である吉川精一の言葉も引用されているが、これは今から30年ほどの前の言葉である。引用された一部に早稲田大学時代の近藤が吉川に対して女性との仲を取り持つよう頼んだエピソードがある。これに対し野地は「彼(近藤紘一)もまた、女性が好きだったことが納得できるものだ」と語っている。

 

 私は、男性が女性を好きだと言う事は極めて自然なことであると思うし、独り身の大学生が女性に声をかける、あるいは友人に仲を取り持ってもらうことは、わざわざ書くほどの事ではないと思える。野地は作中でたびたび、近藤がモテること、女性好きであることを強調しているとの印象を受けた。一般的にこういったことを強調するのは、僻みというのではないか・・・。

 

 さて、その後にはサンケイ新聞に同期入社した倉持貞雄の言葉が多く引用されている。野地は、近藤が倉持に頼る気持ちがあったために、他の親しかったはずの友人にはしなかった「サイゴン行き」の電話をしたと書いているのだが、親しかったはずの友人とは誰なのだろうか・・・そしてこの事を布石として、野地は「近藤は倉持の優しさを見抜いて、妻と娘の面倒を見させたとも言える(野地2013、46)」と書くに至る。

 近藤は「バンコクの妻と娘」の中で、バンコクに赴任する際、娘のユンを都内のフランス語学校に通わせるため寄宿舎へ入れることになった時の事を書いている。両親が不在の中、ユンの面倒を見てくれた人物の中に「くらもとさん」という人物が出てくる。近藤紘一に対して時には厳しい意見を述べ、ユンを可愛がってくれたと近藤が書くこの「くらもとさん」がおそらく倉持氏のことだと推測できる。

 

 野地は執筆に当たり、倉持氏にインタビューをしていると思われるが、引用された言葉はナウさんに対する不満のようなものだけで、ユンに対する言葉が出てこない。おそらく何度も倉持氏の家で過ごしたことのあるユンに対してのコメントが引用されないことは(当然に)意図的な選択であることが思料されるし、近藤が倉持氏に「妻と娘の面倒を見させた」と結論付ける野地の見解に、私は、近藤家に対する野地の底意地の悪さを感じずにはいられない。

 そしてまた倉持氏が亡き友に対する想いと、ユンに対する愛情から近藤死後に二人の面倒を見たのだとすれば、倉持氏の優しさが近藤紘一に利用されたと結論付ける野地の見解は倉持氏に対する強烈な侮辱であるとは言えまいか・・・

 

 

バンコクの妻と娘 (文春文庫 (269‐2))

バンコクの妻と娘 (文春文庫 (269‐2))

 
バンコクの妻と娘 (1980年)

バンコクの妻と娘 (1980年)

 

 

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。