Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

「美しい昔」への反論2

 「美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴンバンコク、そしてパリ(野地秩嘉、2013)」(以下、当ブログでは「美しい昔」と省略する。)についての疑問、反論等を続ける。 

 

 序章においては、近藤紘一の担当編集者である新井信氏の言葉を引きながら好意的に言葉が綴られている。沢木耕太郎ほか、数多くの作家を担当した敏腕編集者である新井氏の言葉は数多く引用されている。新井氏がもちろん近藤紘一と近い距離にいた人物ということもあるが、作者自身も新井氏とは編集者と作家、という関係にあったこともあるから当然とも言えるだろう。

 

 第1章「ふたりの妻」では様相が少し変わってくる。(※しかし、近藤紘一、ナウさん、ユンさん3人家族の素敵な写真が載せられていることを述べておく。)まずは前妻である浩子さんを近藤が早くに失ったことまでが描かれる。そして「近藤紘一は赴任地サイゴンでも、すぐにモテてしまうのである」(野地2013、30)と、始まる。そして続けざまに「要するにまだ若かったから、女性がいなくては心身ともにさびしかったのだろう」(野地2013、30)と来る。そして、近藤紘一がベトナムの庶民について書けたのはベトナム生まれの夫人と結婚したからである。他の記者が書けなかったのはいわゆる現地妻(サイゴンワイフ)がいた事を、妻帯者がいたがために書けなかった。と、決めつけている。この件は当時のサイゴン特派員全員に対しての侮辱ではないか、と考えさせられた。

 

 そして近藤紘一が妻の実家の長屋に住むに至って、「何も書いていないけれど、短時間のうちに、ふたりはサイゴン市内にあったナウの家で同棲生活に入る」(野地2013,33)と作者は書いているが…

 

 近藤紘一は著作の中で、(それが真に事実であるかを差し置いても)支局至近の借家を半ば追い出され、炎天下で転居先の事など思案しているときに偶然ナウさんと再会し、市内の自宅に案内されて共に暮らすようになったことを書いている。

 

 つまり近藤紘一が共に暮らすまでの経緯を文章において残しているにも関わらず、作者(野地)は「何も書いていないけれど」と記述しているのだ。これは上記の邪推とは異なってただの推測ではない。近藤紘一が書き記した事実に対し「何も書いていない」と、何の根拠もなく否定しているのだ。

 

 私にとってこれは、死者に対する冒涜と思える。作者は、故人を貶めようとしているのではないか…それが、私の読後に抱いた感想である。すでに世に出た作品に対し、このように閲覧者の少ないブログで反論することを義侠心と呼ぶには、少し驕りが過ぎるという批判は甘んじて受けるしかあるまい、と思う。

 

 

 

 

図解 反論する技術 反論されない技術

図解 反論する技術 反論されない技術

 

 

↑もっと反論する技術を、これから身につけた方が良いかもしれない・・・