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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

「美しい昔」への反論1

 野地というひとが書いた「美しい昔 近藤紘一の愛したサイゴンバンコク、そしてパリ」という本があることは以前に書いた。

書名として採用されている「美しい昔」の由来は,ベトナムの作曲家チン・コン・ソンの曲名から採られたと考えられる。この曲は,NHKドラマとなった「サイゴンから来た妻と娘」の主題歌に採用されている。(現在,この映像を見る手段はあるのだろうか)

 近藤紘一の著作内でこの「美しい昔」について述べられたことはないが,近藤ナウ名義での「アオザイ女房」にはこの曲について述べられた箇所がある。

 この「アオザイ女房」では,ナウさんの口語調で,日本とベトナムの生活習慣の違いや,ベトナム南部では「アオヤイ」とその発音が清音であること,ベトナム料理のレシピ等について述べられている。各所で語られているナウさんの日本語能力からすると,直接執筆されたとは考えにくいから,この作品は近藤紘一がナウさんの話をどの程度参考にとしたかにせよ,ゴーストライトに近い形で執筆したと考えるのが自然ではないか,と思う。いずれにしても,とても優しい口調で書かれた素敵な本だと感じられた。

 さて,書名の「美しい昔 -近藤紘一の愛したサイゴンバンコク,パリ」の後半部について考える。書名を見て一番初めに感じたことは近藤紘一がバンコク,そしてパリを愛していただろうか…という違和感である。

 近藤は,微笑みの国タイの首都バンコクでは,入居先の確保に難渋した事に端を発して,現地にどうにも馴染めない事,引っ越しも半ばに極寒のテヘランへ向かわされたこと,高湿度の環境の中で度々熱病に苦しめられたこと等を数多く文章で残している。バンコクは近藤にとって快適な土地とは言い難かったのではないか。

 ところで,近藤もナウさんも何度か家さがしをした事が文章に残されている。彼らが愛した「サイゴン」が地図上から消えてしまって以降,生あるうちはついに安住の地を得られなかったのかもしれない。(もっともナウさんは,転居したという南フランスに安住の地を得たかもしれない)

 そしてパリ,である。近藤紘一にとってのパリは,前妻の浩子さんと過ごした思い出が色濃く残る土地であって,このことは妻と娘シリーズの最終作となる「パリへ行った妻と娘」の中でも折に触れられている。あるいは近藤にとってのパリは重要な土地であったかもしれないが,足を運ぶのが躊躇われるほどの場所が残る土地を,「愛した」などという言葉で語れるだろうか…という疑問が拭いえない。この疑問は最後まで消えることがなかった。著者は,語感の良さのみを選考基準にタイトルを選定したのではないか…

 最後も私の推測になるのだが,もともと遅筆であったという近藤紘一は,「パリへ行った妻と娘」の執筆には特に苦労をしたのではないだろうかと思われる。その舞台がパリであることが多分に影響しているからか,本書の内容は当時の近藤が心情的にノンフィクションで書き得る範囲を超えてしまったのではないか。同種の指摘をされていた沢木耕太郎氏の影響は排しえないが,このとき近藤紘一はやはり小説,フィクション,創作といった新たな「装置」の存在を必要とするようになったのではないだろうか,と思う。

パリへ行った妻と娘 (文春文庫)

パリへ行った妻と娘 (文春文庫)

 

アオザイ女房―ベトナム式女の生き方 (1978年)

アオザイ女房―ベトナム式女の生き方 (1978年)

 

 

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。