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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

近藤紘一と司馬遼太郎

 近藤紘一が1986年に亡くなった際、司馬遼太郎が弔辞を読んだ。その文章は大変な名文であるように思われる。司馬より年少である近藤に対して、尊敬と、驚嘆と、親愛の情とが示されている。心からの想いがなければ書けないのではないか、と思わせる慈しみ溢れる弔辞であった。

 戦争写真家ロバート・キャパが1954年にインドシナ戦争中に亡くなった後には、ジョン・スタインベックが文章を寄せた。双方、悲しみのこもった文章だけれども、そこに込められた想いには、とても暖かいものを感じさせる・・・

 

 司馬遼太郎と夫人のみどりさんは、共にサンケイ新聞の記者であった。司馬は1960年に退社し、作家生活に入っているため、当時早稲田大学在学中であった近藤とは直接の接点はないものの、サンケイ新聞社の先輩・後輩の間柄になる。

 

 時が経って1973年、取材のためサイゴンを訪れた司馬遼太郎の案内役を務めたのが、当時サンケイ新聞サイゴン支局長を務めていた近藤である。司馬遼太郎は近藤紘一とナウさんが住んでいた長屋にも招かれ、ベトナム料理を振る舞われた。近藤の帰国後も何度か2家族そろって食事を共にしたことがあるようだ。このことは「目撃者」収録のエッセイにも書かれているし、司馬の側としては「人間の集団について -ベトナムから考える」にその記載があるという。

 

 同じくアジア世界に目を向けた者として、何か通ずるところがあったのかもしれない。司馬遼太郎の書簡集である「アジアへの手紙」には、1986年病床にあった近藤に宛てた手紙が収録されている。ゆっくり養生して、また素晴らしい作品を書いてください、と。解説には司馬遼太郎と共に、近藤と親交があった人物として、太宰治の娘である太田治子氏が寄稿している。

 

 司馬遼太郎は近藤への弔辞の終盤に、以下の文章を添えた。

 

「今後の私どもは、君が残した精神のリズムを忘れずに生きてゆくしかないのです」

 

 そのリズムは細々としてはいても、しっかりと刻まれ続けているのではないか、と思う。

 

 

人間の集団について―ベトナムから考える (中公文庫)

人間の集団について―ベトナムから考える (中公文庫)

 
ちょっとピンぼけ (文春文庫)

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

 

 

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。