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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

近藤家の人びと1 ~父 近藤台五郎と近藤軍団~

近藤家の人びと

 近藤紘一の父,近藤台五郎は1907(明治40)年生まれ、1933年に東大医学部を卒業し,論文の発表時期から1940-1970頃を中心に第一線で活躍したと思われる。なお,長男である紘一は1940年,台五郎が33歳の時に生まれている。

 近藤台五郎は胃鏡(ファイバースコープ)の権威として,数多くの論文を書いている。「胃鏡とファイバーまでの思い出」とのタイトルで医学誌の対談などにもその道の第一人者として登場し,「俺は想い出を語るほどの年寄りではない.現役のパリパリだぞ」(近藤1967)と述べたりしている。
 ファイバースコープ導入の経緯などについては,エーザイ株式会社の商品「パリエット」のホームページにおいて,長廻 紘(元群馬 県立がんセンター 院長)の連載「消化管内視鏡を育てた人々」において詳しく述べられており,近藤台五郎も度々登場する。

 例えばその中には,近藤軍団と称するグループが登場する。「FSが近藤台五郎先生の御骨折りで日本へ入ったのは1962年、奇しくも、早期胃癌の肉眼分類ができた年でもある。虎の門病院で公開実技が(中略)6月1日行われた。その日が近藤先生の誕生日に偶然あたり、木曜日だった。近藤先生を中心とする内視鏡グループ(近藤軍団)の勉強会を木曜会と称するようになった。」(長廻 1999)

 この木曜会は,現在も存続しているという。近藤紘一のことを知らずとも,医学界の先達として功績ある近藤台五郎のことを知っている医師は多いのかもしれない。現在,そうした功績により,胃カメラによる検査等で胃がんの早期発見等が可能となっていると言えるのではないか。以下に,少し長いが近藤台五郎の言葉を引用する。

「だいたい、真の専門家といわれる人は、その分野の“歴史の流れ”をはっきりとつかんでいなければならない。この意味は、何も発表された個々の文献を知るということではなく、その分野の、“歴史の大きな流れ”を把握することの重要性を指すものと考えていただきたい。そして、その“流れ”の中で、現在自分自身のおかれている位置を自覚するならば、おのずから自分の採るべき目標は明白となり、そこに達する最も有効な手段を発見するチャンスが生れてくるものと思うのです。」(近藤 1978)

 私としては,こうした言葉にも近藤紘一への影響を探らざるを得ず,御都合主義との批判は甘んじて受けねばならない,と思う。 
「醫科器械學雜誌 37(4・5)」1967-05-01 日本医療機器学会 近藤台五郎ほか
パリエットHP」1999-2005(http://www.pariet.jp/alimentary/endoscope.html)長廻 紘 
「胃鏡の歴史に思う、Gastroenterological Endoscopy,」1978 近藤 台五郎

胃腸の病気 (1960年) (創元医学新書)

胃腸の病気 (1960年) (創元医学新書)

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。