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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

「美しい昔」への反論6

majesticsaigon.hatenablog.jp 「美しい昔(美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴン、バンコク、そしてパリ/野地著)」への反論は、第6章へと続く。 小林秀雄は、批評とは誉めることだと言っているが、このカテゴリーの文章群は「反論」である。しかし、中傷で…

日本人の国際化について

現代は国際化の時代とよく言われるが、私にはこのことについて大いに疑念がある。確かに交通手段やインターネットによって、物理的、電磁的に日本と世界の距離は縮まっている。例えば私も留学中の従兄弟と連絡を取ることができ、至極便利である。 また、スポ…

サイゴンから来た妻と娘の結末 -彼の名は-

1975年4月30日、サイゴン陥落ー。 長く続いたベトナム戦争の終結を見届けた新聞記者、近藤紘一は、陥落直前の状況を以下のようにレポートした。「サイゴンはいま、音を立てて崩壊しつつある。つい二カ月前、いや一カ月前まではっきりと存在し、機能していた…

夏の海、近藤家と萩原家

「サイゴンのいちばん長い日」の作者として知られる近藤紘一には、「サイゴンから来た妻と娘」シリーズの著作があるが、近藤紘一には若くして亡くなった前妻がいた。近藤は、湘南高校から進学した早稲田大学の仏文科において、駐仏大使萩原徹の娘、浩子さん…

イデオロギー雑感

近藤紘一の著作のうち、人気の高いものは「サイゴンから来た妻と娘」に始まる「妻と娘」シリーズ三部作なのだが、その他の著作に目を向けると、彼が優れた観察者であり、インタビュアーであることがわかる。それらはいずれも「新聞記者」として彼が身につけ…

「美しい昔」への反論5

majesticsaigon.hatenablog.jp 「美しい昔(美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴン、バンコク、そしてパリ/野地著)」への反論は、第5章へと続く。 その前に先日、機内で近藤紘一の「したたかな敗者たち」を読み返していたところ、タイトルに取られている「美…

1927年、フットボーラー近藤 ー極東選手権競技大会ー

かつて、極東選手権競技大会(The Far Eastern Championship Games)という競技会が開催されていた。 1913年から34年まで、10回実施されたこの大会は、フィリピン、中国、日本の3か国を順次開催地として開かれたが、「満州国」参加に関して日中が激しく対立…

必携の書

近藤紘一には、2冊の必携の書があった。サイゴン陥落後、日本大使館に滞在することとなった近藤は、大使館のソファーに寝転がり、失神小説(※三文小説の意か)を手に取りつつ、彼にとって必携の書を携えてこの地に乗り込まなかったことを悔やんだ。(サイゴン…

時代を考える

小林秀雄という人が有名な文士であり、批評家であるということは私も知っていた。近藤紘一の言葉によれば、現代における最後の知識人、ということになるだろうか。私がこれまで読んだ本のなかにも、小林秀雄という名は度々現れ、沢木耕太郎、近藤紘一の二人…

タイの国王

タイのプミポン国王が亡くなったという。 在位70年、1946年から長きに渡り、国の要となってきた。 近藤紘一がバンコクにいた頃も、そうであった。 近藤紘一の著作に登場する各国のお偉いさん方も、 近年訃報が相次いでいるように思われる。 ヴォーグエンザッ…

「パリの近藤紘一」~ベトナム・ストーリーズ~

私はかつて、新聞記者になりたい様な気がしていた。大変ぼんやりとした希望であった。あるいは、近藤紘一に早く出会っていたら新聞記者への道を志し、道を踏み外し?ていたかもしれない。 さて、神田憲行さんというライターが、「パリの近藤紘一」という文章…

近藤紘一の時代

私は今、雨に降り込められている。稀にやってくる大雨に忽ち都市機能は麻痺し、道路はブレーキランプの赤に染められている。(素人があまり小説らしい文章を書くと、寒々しくていけないな、と思う。)ところで、宮崎駿は、こうしたブレーキランプの列を見て、…

近藤紘一と野望の街

「ー君が出版社から頼まれるままに、翻訳したアメリカのピカレスク小説がありますが、さまざまな色のガラスの破片のようなコトバにいたるまで、息づいた言語の、みごとな日本語に移し替えられていました。ピカレスクにさえ、君の愛の形を変えた破片の群れが…

「美しい昔」への反論4

「美しい昔」第4章では、ベトナム戦争の経緯や、当時のベトナム報道について語られている。これらのベトナム戦争観は現在一般的なものであり、サイゴン陥落後に近藤が書いた文章とも相違ないものである。 当時の世論のベトナム報道の論調の中にあって、サン…

近藤紘一の義父、萩原徹。

1964年、近藤紘一は前妻の浩子さんと結婚した。夫妻は早稲田大学を卒業した23歳で、近藤が務める支局に奥さんが迎えに来るなど、文字どおりの新婚時代であった。 (当然のことながら)結婚と時を同じくして近藤の義父となった浩子さんの父、萩原徹は、近藤に…

人間国宝、近藤紘一?

近藤紘一夫妻は大変に動物好きである。改めて読み返してみると、近藤紘一が残したエッセイ群の多くに動物たちが描かれている事に気づく。登場頻度はベトナム、妻と娘、次点はさまざまに顔を出す動物たちかもしれない。 そんな近藤紘一が幼少期の原体験?とも…

近藤紘一と人名漢字

近藤紘一は新聞記者でもあったから本名で執筆活動を続けていた。それが本名であることに疑問はないが、近藤は昭和15年の生まれである。 現在人名に使える漢字は常用漢字表に登載されている漢字と定められているが、これらの規定は戦後の間もない頃、つまり昭…

近藤紘一と沢木耕太郎1

構想はあるのに文章がまとまらない。作家であれば死活問題だが、ブログの場合は困る人もあるまい。小林秀雄がとある講演のなかで、プロの作家にはリズムがあり、そのリズムに乗らねば文章が書けないと言うようなことを言っていた。アマチュアの私にとっては…

晩年の父台五郎と、近藤紘一

私は近藤紘一の著作を読んでいて、家族の話の中に実家の親族がほとんど出てこないことに多少の違和感を覚えていた。その違和感は、おそらく近藤紘一は医師である父近藤台五郎とはあまり良い関係にないのではないか、という推測と置き換えても差し支えない。 …

近藤紘一は犬派。

このブログでは少なくとも事実と「思われる」ことを根拠に、サイゴン陥落を見届けた目撃者、近藤紘一氏に関して書き綴っている。仮にもノンフィクションブロガー?として、頼りないながらもなるべく出典を示して記述を続けたいと思っている。 しかしながら、…

「美しい昔」への反論3 

野地秩嘉氏(以下、当ブログでは敬称を略し、野地という)の「美しい昔」への反論は第2章「家族と友人が見た近藤紘一」に対するものへと移る。私としてはつまらない揚げ足取りに終始しないようにと心掛けているが、その成否は読者の判断に委ねるしかあるまい…

「美しい昔」への反論2

「美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴン、バンコク、そしてパリ(野地秩嘉、2013)」(以下、当ブログでは「美しい昔」と省略する。)についての疑問、反論等を続ける。 序章においては、近藤紘一の担当編集者である新井信氏の言葉を引きながら好意的に言葉が…

「美しい昔」への反論1

野地というひとが書いた「美しい昔 近藤紘一の愛したサイゴン、バンコク、そしてパリ」という本があることは以前に書いた。 書名として採用されている「美しい昔」の由来は,ベトナムの作曲家チン・コン・ソンの曲名から採られたと考えられる。この曲は,NHK…

近藤家の人びと2 -祖父 近藤次繁ー

近藤次繁は,日本で初めて胃がんの手術を成功させた人物として知られる。近藤台五郎の父,近藤紘一の祖父である。帝国大学でお雇い外国人ユリウス・スクリバ(このスクリバも功績のある人物で,群馬県の草津温泉にはベルツ博士と並んで銅像がある。)に学ん…

近藤紘一と司馬遼太郎

近藤紘一が1986年に亡くなった際、司馬遼太郎が弔辞を読んだ。その文章は大変な名文であるように思われる。司馬より年少である近藤に対して、尊敬と、驚嘆と、親愛の情とが示されている。心からの想いがなければ書けないのではないか、と思わせる慈しみ溢れ…

近藤紘一の足跡2 -そしてサイゴンへ-

近藤紘一は、1975年に南ベトナム共和国において、ベトナム戦争終結に至る「サイゴンの一番ながい日」を経験することになる。日本の若きジャーナリストは如何にしてその歴史に立会うに至ったのか。 近藤紘一は、1963年に早稲田大学の仏文科を卒業し、サンケイ…

近藤紘一の足跡1 ープラハの春へー

近藤紘一は1940年,父台五郎が33歳の時に生まれている。もし存命なら、今年が75歳に当たる年となった。 紘一は、ふるさとのようなもの、と呼ぶ逗子で幼少期を過ごした。地元の湘南高校へ進むと、親友である吉川精一と出会うなどしている。この湘南高校は神奈…

近藤家の人びと1 ~父 近藤台五郎と近藤軍団~

近藤紘一の父,近藤台五郎は1907(明治40)年生まれ、1933年に東大医学部を卒業し,論文の発表時期から1940-1970頃を中心に第一線で活躍したと思われる。なお,長男である紘一は1940年,台五郎が33歳の時に生まれている。 近藤台五郎は胃鏡(ファイバースコ…

近藤家の人びと

「サイゴンから来た妻と娘」の文庫本(2013)には,文藝春秋社で近藤紘一の担当編集であった新井信氏が解説を寄せている。 その中で,近藤紘一が病床で次回作への意欲を伝えている描写がある。近藤紘一は,北杜夫の「楡家の人びと」に匹敵するような,近藤家…

近藤紘一に関する本1

近藤紘一についての記載がある本はいくつかあると思われる。 そのひとつに、野地 秩嘉という人が書いた、 「美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴン、バンコク、そしてパリ」という本がある。 以下はその本の内容紹介である。 ーーーーーーーーーーーーーーーー…

近藤紘一の著作

近藤紘一の著作は、その活動期間の短さから、以下に列挙するとおりである。「目撃者」が遺稿集であることも考えれば、実質的には7作に過ぎない。中央公論新人賞を受賞した「仏陀を買う」が最初で最後の小説となってしまった。 遺稿集の編集に携わった沢木耕…

目撃者、近藤紘一

近藤紘一氏は、 新聞社の特派員として、1975年に南ベトナム共和国の崩壊を見届けた。「サイゴン陥落」として知られる、ベトナム戦争終結の一部始終である。 南北ベトナムの統一から40年が過ぎ、近藤紘一の、そのあまりにも早い死から今年で30年目になる。今…

近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。