Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

コロナの終息する頃には

45回目の陥落

 今年も、サイゴンが陥落してしまった。なんだかんだと、4年くらいは言い続けている。例年4月は忙しく、例えばサイゴン陥落の10日前から、近藤さんの文章を元にカウントダウンしながら記事を書こう、などという取組も実現できずにいる。それに、辛いことが多すぎた。戦時国家の苦しみに比べれば、なんということはないのだが・・・。

 それに、更新が遅れる最大の理由を私は知っている。パソコンが古いのだ。10年前のパソコンはうなりを上げ、私は今も、数秒前にタイピングした文字が順次画面に表示されてくるのを待っている。さて、時を戻そう。45年前に・・・

 

 平静取戻すサイゴン 【1975年5月9日】

北・革命軍のサイゴン入城から一週間あまりで、サイゴンの町の表情は以前のたたずまいをすっかり取り戻した。

  サイゴン陥落から一週間、あのような電撃的な出来事があっても、「何事もなければ」人間はいとも簡単に平静さを取り戻すのだろうか。それは人間に備わった力のなせる業か、それともベトナム人になせる業か―。

 

きのうグエン・フエ通りを歩いていた記者(近藤)は突然、道路を走っている革命政府軍ジープの中から一人の兵士がありったけの大声でわめくのを聞いてびっくりした。彼は偶然にも歩道を歩いている人混みの中に古い友人を見つけたのだ。ジープからかけ降りた兵士は人混みの中で友人と抱き合った。私はひどく感動した。

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 (2018 グエンフエ通り-現在は車両は通行できなくなっている)

 

  当時のサイゴンでは、30年に及んだ戦争で別れていた人々が出会う。同族同士で争い合う悲しい戦争だからこそ起きる奇跡が、突然の再開が、相次いでいたという。コロナ自粛で離れている人々も、そのうち再開できるだろう。大切な人に会えることがどんなに素敵なことか。今のように通信技術が発達して、オンライン飲み会ができる世の中でも、やっぱりそれを感じることができるだろう、と思う。

 

きっと元に戻るだろう

 南ベトナムという国がなくなっても、そこに生きる人々はたくましい。たくましくならざるを得なかったのかもしれないが―。

 サイゴン陥落前に七千ピアストル(約三千円)の値札がついていた時計を、三万ピアストル(約一万三千円)で売りつけるサイゴンの商人の姿を近藤さんは見る。

 

商人たちは”解放”一週間足らずで早くも伝統的ながめつい商売根性を取り戻したようだ。

 

  近藤さんが人々に向けるまなざしは優しい。それが、近藤さんの好きだったサイゴンを陥落させた兵士たちであっても。

 

 ”敵地”にやってきた北ベトナムの兵士たちは、やがて一人でも町を歩きはじめる。

 

「うれしくて、うれしくて眠られないくらい」と一人の兵士がいった。

 

 

 

常識を持って赴くこと

かつての戦争

 己の決意を守ることがいかに難しいか、と思う。月に一度はブログを更新するはずが、いつの間にか季節が移り、世間の情勢も一変している。書かないからアクセス数が落ちる、やる気を失くす、そのようなスパイラルも影響がないとは言えないが、私が書くのはやはり随筆のようなもので、更新頻度はどうしても気分次第になる。職業的なライターになりたいとかつて思ったこともある。いずれ私は、締め切りに苦しむタイプであったに違いない。

 最近、友人がベトナムと関わる職業に身を転じた。彼のことを思うより先に、「君がベトナムに関わるならばこの本を読まねばならない」と言って、「サイゴンから来た妻と娘」を渡してきた。彼は非常に優秀な男だが、興味のないことに関心を払うほど暇でもないので、ベトナムがかつて南北に分断していたことも知らない。ベトナム戦争も、第二次世界大戦も、実感としては既に遠いものとなっている。

 

読書で出会うもの

 私は最近、気を紛らわすためにいつもの3倍は本を読んでいる。どうしてもジャンルが偏る。好きなものは好きだからだ。友人に貸す前に「サイゴンから来た妻と娘」の冒頭部分を読み返した。鳥肌が立つ。文章が心に響く。私は自分の感受性が決して豊かだとは思わないが、近藤さんの作品を読み返すと、そんなこともあるのである。

 そんな中で、私はまた白洲次郎について書かれた「風の男 白洲次郎」を読んだ。直に接すれば、肌の合わないかもしれぬ「育ちのいい生粋の野蛮人」が、私は好きなのだ。その文章に、小林秀雄との関わりが記されていたが、そのエピソードが、GHQから出版許可の下りぬ書物について、小林秀雄が相談するというものなのである。

風の男 白洲次郎 (新潮文庫)

風の男 白洲次郎 (新潮文庫)

 

 

戦艦大和ノ最期」

 小林秀雄が、この文学を世に出したい、と願ったのは、戦艦大和の乗組員であった吉田満の書いた「戦艦大和ノ最後」であった。吉村昭の書く戦史小説を多く読んだ私だが、実際に戦争に従軍した士官の書いた文章を読むのは初めてのように思う。文章コノ如ク文語調ナリ。

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

  • 作者:吉田 満
  • 発売日: 1994/08/03
  • メディア: 文庫
 

  戦争の真実が、ここにあるように思われた。戦艦大和の最後は、「海上特攻」である。日本が真珠湾攻撃で見せたように、航空兵器の威力は圧倒的であった。史上最強の戦艦大和。その強大な攻撃力も、航空機の波状攻撃を前にしては、余りにも無力であった。乗組員もそんなことは知っている。援護する航空機もなく、ただ標的として特攻する日本海軍。

 

世の常識

 これから死にに行く。乗組員にとってそれは自明なことであった。それと知らぬ少年兵は、夕食のメニューに湧き立つ。物思いに耽る者。友人と歓談する者。ポケットに忍ばせたサイダーを飲む士官、艦とともに沈みゆく艦長にビスケットを渡す者。ほんのわずかの運命の差異が、生死を左右する戦場。頭の中に鳴り響くはバッハ。・・・軍人はあまりにも常識的で、強く生きている。

 全てわかった上で、散りゆく者。戦争はどこまでも悲惨である。そう実感するには、「軍部の暴走」などという教科書的な修辞は全く不要だ。現代に生きる我々とまったく同じ常識を持つように思える彼らが、どう生きたか。それだけが伝われば、日本が再び戦争に向かうこともあるまい、と思う。

 

偉大なる

  コロナウイルスが蔓延している。必要なのは、冷静に世の中を見つめる目と、実直な生き方なのではないか。こんな時こそ、先人に学ぶべきではないか。学ぶべき人はいる。

第二次大戦に従軍した99歳の老人が、100歳を迎えるまでに100mを25回歩くというリハビリに挑戦する動画で2億円の寄付を集めたという。今回の戦いで「最前線」に立つ彼らに、老人は偉大なるプレゼントを贈ったのである。