Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

サイゴンのちょっと短い日③(2018ベトナム訪問記)

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

バイクで街を

 

 朝のサイゴンは、バイクで走ると快適な街だった。今が乾期のせいかもしれない。バイクはトンネルを抜けて対岸の橋で停まり、そこでサイゴン川の流れを見た。

 老人がしきりに川のトンネルをくぐることとを勧め、対岸へ私を連れてきたのも、老人にとってこの大河の下にトンネルがくぐったという事実が大きな驚きであったためなのかもしれない。かつて対岸へは、船で渡るしか方法がなかったのだ。

 確か沢木耕太郎がその著作の中で、街には「somothing happens(何かが起こる街)」と「make something happens(何かを起こす街)」の2種類があると書いていたように思う。私はバイクで風を受けながら、この街は何かが起こる街なのかもしれないな、と感じていた。

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Friends

 

 バインミーを食べながら、バイクの老人に退場願おうと思っていた私は、近藤紘一の写真を見せ、「知らないならば用事はない」と言うつもりだった。しかし老人は、近藤さんを「知っている。友達だ。彼はサイゴンに住んでいた。」と言うのだ。もちろんその言葉をそのまま鵜呑みにするほど私も純情ではなかったが、帰ってもらう理由を失ってしまった。

 もう少し、と話を聞くと、老人はミンさん(ヘルメットにDinh Minhと書かれているのに後に気付いた)といって、幼いころ家族とともにサイゴンに来たという。年齢は59歳だというから、サイゴン陥落時には13歳の少年だったはずだ。知っている可能性はゼロとは言えないが、友達だというのは言いすぎだろう。しかし、もしかしたらミンさんは、かつてのサイゴンを感じさせる場所を知っているかもしれない。私は騙されるつもりでバイクに乗ることにしたのだ。

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マッカイ

 

 橋の上でミンさんは、何度も「マッカイ、マッカイ」と口にした。私はマッコリや、マッコイというテレビのプロデューサー、ガンダムに登場するイカ型の機体等々を思い浮かべたが、「チョロン」という言葉が出てきて、この「マッカイ」が「マーケット」のことだと分かった。

 私の英語力も残念なことにかなり貧弱だが、ミンさんの英語にも相当のクセがあるようだった。

 

チョロン

 

 近藤さんの著作に何度も登場する「チョロン」地区は、中国人街である。ベトナム語で「チョロン」というのは大市場を意味するらしい。一度寂れたチョロンも、再びにぎわいを取り戻していると聞く。私はチョロン地区に行ってみることにした。

 チョロン地区に着くと、ミンさんは市場脇の小さな食堂の娘に3000ドンでバイクを預けた。そのとき、ミンさんは財布に入った証明写真を私に見せ、「私はベトナム軍の兵士だった」といった。その緑の軍服には、確かに見覚えがあった。

 私はミンさんに連れられて布製品の並ぶ一角で、日本語を話す女性から220000ドン(約1100円)でスカーフを買い、コーヒー店では800000ドン(約4000円)でコーヒーを買わされそうになった。「高すぎる」と200000ドンを渡すと、渡されたコーヒーの量も半分になっていた。それにしても、「半分」ということは、最初の提示はやはり2倍以上の高額な言い値だったことになる。

 

旅の覚悟

 

 その後も、私は「安いサンダル」を求めたが、店の主人は”アルマーニ?”のサンダル等を売りつけようとしてきた。既に残りわずかとなった手持ちのベトナムドンを見せると、もう少し安価な”トミーヒルフィガー?”のサンダルが出てきた。結局150000ドン(約750円)でこのサンダルを買ったが、私はその場の空気でなんとなく散財を繰り返したことに気付いた。

 冷静に考えれば、この国では缶ビール1本が65円ほどなのだ。後に、購入した品は少なくとも観光地料金としてみれば「高すぎる」ほどでははないと思えたが、この国のしたたかな人々と交渉する覚悟が、私には足りていなかったと反省せざるを得なかった。しかしながら、このことに気付いたのは、もう少し後の事である。バイクは、再び走る・・・

 

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<④に続く>

 

 

 

サイゴンのちょっと短い日②(2018ベトナム訪問記)

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空港から市内へ

 

 空港を出たシャトルバスは、サイゴンの中央部へと通勤時間帯の街を走る。バスの前後左右にバイクがひしめき、常にどこかでクラクションが鳴っていた。バイクや車の車間は恐ろしく接近しており、私の持つ運転免許はこの国では決して役に立つまい、と思われた。

 バイクはHONDA、車はTOYOTAが最も多数派であるように思えたが、2018年のサイゴンでは、まだ主役はバイクのようだった。LINEキャラクターのクマやウサギ、ドラえもんといったキャラクターを配したヘルメットや、多様なデザインのマスクは、バイク人口の多さを物語っているとも思えた。

 空港を出て約1時間、かつてツゾー通りと呼ばれたドンコイ通りの突き当たりにあるマジェスティックホテルの前に停車した。ホテル前は、シャトルバスの停車場の一つになっているのだ。

 

グエンフエ通りで

 

 朝の8時になっていた。ホテルの前のトンドクタン通りを、サイゴン川の下流側に向かって歩けば、グエンフエ通りがあるはずだった。私は、かつて近藤さんが勤めた支局の存在した大通りに出て、朝食を取ろうと思った。

 ホテル脇の工事現場を曲がると、グエンフエ通りに出た。通りは、紛れもない「大通り」だったが、あまり活気がなかった。やはりサイゴンは都会になりすぎてしまったのかもしれない・・・かつて支局のあった方向へ歩くと、バイクに乗った老人に英語で声をかけられた。

「どこから来た?どこに行きたいんだ?」

 私は日本から来たことを告げ、この通りを歩きたいのだと言ったが、私の英語が拙いためか、「ただ通りを歩きたい」ということが理解できなかったのか、日本語の書かれたマップを示して、メコン・クルーズやクチ・トンネルに行かないか?と、バイクを押しながら老人は続けた。私は軽く手を振り、ちょうど右手に見えてきたグエンフエ書店に入ってやり過ごすことにした。

 

バインミー

 

 書店を一周し、私の好きな「ドラえもん」の人気が高いのを改めて確認してから再び通りを歩くと、バゲットに鶏肉と野菜のなますを挟んだ「バインミー・ガー」を売っている屋台を見つけた。「ガー」というのは鶏肉のことで、私の知っている数少ないベトナム語の一つだった。私はこの後、食事の注文に困るたびにガー、ガーと、言うことになる。

 20000ドン(約100円)で購入したバインミーを、近くのベンチで食べ始めると、先ほどの老人が笑顔で戻ってきて、隣に座った。食べ終わったら、どこに行くかと聞かれたが、私は日本のベトナム料理店で食べて以来すっかりお気に入りのバインミーをゆっくり味わいたかったので、目と鼻の先のサイゴン川を指さし、「リバーサイド」と答えた。

 

バイクに乗って

 

 しかしこの後、私は老人の誘いに乗ってバイクに乗ることになる。「ノーマネー」と老人は言うが、そんなはずあるか。「10万ドンだけしか払わない。ベトナムドンだ」と言い、渡されたヘルメットを被ってバイクの後ろに跨った。

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 彼が言っていた「タノウ!リバータノウ。クロス、サイゴンリバー、タノウ。」の「タノウ」が、トンネル(tunnnel)を意味していたことに気付いたのは、この記事を書く2時間ほど前のことである。

 

<③に続く>