Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏(1940-1986)について

続 はじめないとやる気はでないよ

はじめれば、きっとやる気は出る。

 

 記事を書いたことによって、やる気が生まれたかは疑わしいのだが、1年を振り返るような記事を書いてしまった手前、2017年のことはその年のうちに片付けなければならない心持になったことは確かである。

 以下、2017年下半期に書いた記事に言及していくが、ちょっとしたことでも活動し出すと、何かが数珠つなぎになるものだろうか。これについては、年が明けた次回記事にしたい。

 

ブログレビュー(一言コメント)

 

13 欠陥から生まれるもの - Witness1975’s blog

 沢木耕太郎の文学選集に収められた阿佐田哲也(色川武広)の短編小説に書かれた往年の大横綱双葉山」に関わるエピソードを元に執筆した。

 

14 サイゴンハートブレーク・ホテル - Witness1975’s blog

 人は、興味を持った対象をその視野に捉える能力を、多かれ少なかれ持っているのかもしれない。図書館で見かけた「サイゴンハートブレーク・ホテル」は、従軍カメラマンであった著者による作品で、近藤紘一の名もそこにはあった。詳しい経歴を知ることができなかった近藤幹雄について知ることができた点でも、良い本に出会うことができたと思う。続編を書くつもりが、既に4か月も経過してしまっている。

 

15 必携の書2 - Witness1975’s blog

 私はこの夏、「漂流」というものに尋常ではなく興味を魅かれた。前記事でも触れた「探訪 名ノンフィクション」で、沢木耕太郎が近藤紘一とともに名前を挙げたのが吉村昭である。その吉村昭もまた、「漂流記の魅力」というタイトルそのままの著作をはじめ、「漂流」に強い興味を持っていた。私は吉村昭の作品を中心に、「漂流」に関する作品を読み進めることになるが、「必携の書」を持った漂流者もいたのだ、という驚きでこの記事を書いた。

 

16 漂流者達のアルバトロス - Witness1975’s blog

 引き続き「漂流」に題材をとったが、私は漂流というものがどういうものか知るにつれて、沢木耕太郎の著作にある「地の漂流者」という言葉の強さ、に気がついたように思う。

 

17 近藤紘一 × 日本競馬史 1 - Witness1975’s blog

 物事は多面的に見なければならない、と思う。例えば「ローマの休日」が上演された頃、仏領インドシナでは、ディエン・ビエン・フーの戦いがあり、日本では「七人の侍」が上演されたように、同じ時期にも様々な出来事が起きている。近藤紘一の年譜と、私がその年譜を理解している(と思っている)競馬史を重ね合わせた。これも続編が書けずにいる。

 

終わりに

 

 以降、10月以降の直近記事については割愛します。終わりに、2017年、当ブログを訪れていただいた皆様に改めて感謝申しあげます。散発で書き続けながらも、10000件のアクセスを記録することができ、このブログも3年目に突入することとなります。2018年も引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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はじめないとやる気は出ないよ

はじめないとやる気は出ないよ

 

 誰の言葉か失念してしまったが、これは金言であるだろう。文章も、書き出しの1行さえ書ければ半分完成したようなものだと言った人もある。しかしながら、自転車の漕ぎ出しに最も力を要するように、「はじめる」ということには大きなエネルギーが必要なのだ。この金言が頭にあるばかりで、何も手につかない私は記事を書き始め、思いつきで、今年のブログ記事(一部を除く)にコメントを付けることにした。

 

ブログレビュー(一言コメント)

 

1 必携の書 - Witness1975’s blog

 「サイゴンのいちばん長い日」の中で、近藤紘一がいつも外国に持っていくという本を2冊挙げていた。レマルク凱旋門と齋藤茂吉の万葉秀歌である。近藤紘一がこの2冊の本によって、遠い外国で、あるいは戦時下の国にあって精神のバランスを取っていた。私には「必携の書」といえるほどのものはないが、ある時期の私にとって、パウロ・コエーリョの「星の巡礼」は重要な本であった。

 

2 1927年、フットボーラー近藤 ー極東選手権競技大会ー - Witness1975’s blog

 この記事は、近藤紘一に「峻烈な壁」と評された父の近藤台五郎が、サッカー日本代表として世界の舞台に立っていた、その驚きを記事にしたものである。

 

3 「美しい昔」への反論5 - Witness1975’s blog

 このブログのはじまりの原動力となったのは、この「美しい昔」という書物に反論を行いたいという想いであった。第5段。

 

4 イデオロギー雑感 - Witness1975’s blog

 近藤紘一が79年度のボーン上田賞(国際記者賞)を受賞した理由の一つであろう、ポルポト政権下を生き抜いた日本人女性の体験を描いた「悲劇のインドシナ・戦火と混迷の日々」について言及した。集団的思想の恐ろしさ、というものを我々一人ひとりがもっと強く理解していなければならない、と思わせる。

 

5 夏の海、近藤家と萩原家 - Witness1975’s blog

 近藤紘一と、前妻である浩子さんの家系には、二人が出会うずっと以前にも関わりがあった。夏の海を通じたその出会いに、本人達は気付いていただろうか。

 

6 サイゴンから来た妻と娘の結末 -彼の名は- - Witness1975’s blog

 近藤紘一の著作で最も読まれている「サイゴンから来た妻と娘」に改めて触れた。このブログでは一番アクセスされている記事だが、とにかく近藤紘一という人物に、読み手としてフラットなスタンスで関わってもらいたいという気持ちで書いている。できれば他の記事にもアクセスしていただき、コメントを頂きたい、そんな記事である。

 

7 日本人の国際化について - Witness1975’s blog

 いまの日本人よりも、戦前の日本人がもっとグローバルな感覚を持っていたのではないか。小林秀雄中島敦の文章を読み、私の以前からの疑問について触れた。

 

8 探訪 名ノンフィクション - Witness1975’s blog

 2013年頃に発行された本書を書店で見つけ、「近藤紘一」の名前はないか、と期待してページをめくると、沢木耕太郎が近藤紘一に言及している箇所があって、我が意を得たり、と記事にした。

 

9 1000文字で分かる「近藤紘一」 - Witness1975’s blog

 ブログを書き出す度に、新たな読者のために近藤紘一について解説しなければならない必要を感じるため、経歴等を要約して掲載した。要約して削ぎ落とした細部にこそ、本当の魅力はあるもので、この記事を足掛かりに原文を読んでもらいたいと願う記事である。

 

10 伝説の編集者 新井信 - Witness1975’s blog

 近藤紘一の著作に度々登場する編集者、「新井さん」は、沢木耕太郎の編集者をも務めていた。職業上は、影の存在であるにも関わらず、度々登場する新井さんについて触れた。

 

11 次郎の話 - Witness1975’s blog

 白洲次郎という非常に興味深い人物を知ったので、これについて触れた。晩年は軽井沢ゴルフクラブに関わり、「PLAY FAST」(さっさと、やれ)の精神を広めた。彼が暮らした武相荘(ぶあいそう・・・武蔵と相模の間にあり、無愛想にかけた)は現在観光用に整備されており、「PLAY FAST」のTシャツが売られている。

 

12  1954年の戦い -日本、ローマ、インドシナ- - Witness1975’s blog

 私の中で、1954年で繋がるものがあった。それぞれの、1954年について言及した。

 

 

 ここまで、12記事についてコメントをしたところで、月2回ぐらいは記事を更新していることに気がついたが、なかなか更新できず、また質の高い記事が届けられずに読者の皆様には申し訳ない想いがある。(続)

 

 

白洲次郎 一流の条件

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やる気のスイッチ!

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