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Witness1975’s blog

サイゴン特派員 ジャーナリスト近藤紘一氏について

イデオロギー雑感

近藤紘一コラム

  近藤紘一の著作のうち、人気の高いものは「サイゴンから来た妻と娘」に始まる「妻と娘」シリーズ三部作なのだが、その他の著作に目を向けると、彼が優れた観察者であり、インタビュアーであることがわかる。それらはいずれも「新聞記者」として彼が身につけたものであると思うが、そんな彼の著作の一つに「戦火と混迷の日々-悲劇のインドシナ」という作品がある。

 

 これは、後に「キリングフィールド」という映画も作られた、カンボジア極左ポル・ポト政権による政策によって、地獄のような日々送ることを余儀なくされ、生還した一人の日本人女性の身に起こった出来事を、近藤紘一がレポートした作品である。

 

 現代社会において、わずか40年前に300万人もの死者を出した”政権”があったことを忘れてはならない。これらの犠牲はポル・ポト政権の持った”イデオロギー”に従い政策が実行された結果だ。

 

 イデオロギーというものには、”私”が”個人”というものがない。人々は自ら思考することを止め、イデオロギーの力に従うことになる。そして盲目的にイデオロギーに従う人々は、ときに信じられないような、非人道的な行動を取る。そのもっとも極端な至近例がカンボジアに現れた赤いクメール(クメール・ルージュ)という集団であったのだろう。

 

 さて、原理主義的な共産主義もまた、イデオロギーと言えるだろう。共産主義は数々の歴史的失敗を犯し、今では共産党の一党支配のもと、資本主義的経済を取り入れることにより生きながらえているかのように見える。

 

 本題は、共産主義者の、あるいはこのイデオロギーの持つ”やり方”である。近藤紘一が言うハノイ、つまりは統一後間もないベトナム政府の行動パターンの一つには、先に既成事実を固め、時間をかけて既成事実に現実を合致させるという政治手法?がある。そのような手法で北ベトナム南ベトナムを統合し、40年の時間をかけたことによって現在の発展があるとも言えるだろう。

 

 そんなハノイのやり方を思う時、2017年現在の北京のスプラトリー諸島の埋め立てと海洋基地建設、モスクワの北方領土実効支配という事実に現実的な危機感を覚える。近藤紘一ならば、この現況をどのように分析してくれたであろうか。そんな事を思う。

 

 

戦火と混迷の日々―悲劇のインドシナ (文春文庫)

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「美しい昔」への反論5

「美しい昔」への反論

majesticsaigon.hatenablog.jp

 

 「美しい昔(美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴンバンコク、そしてパリ/野地著)」への反論は、第5章へと続く。

 その前に先日、機内で近藤紘一の「したたかな敗者たち」を読み返していたところ、タイトルに取られている「美しい昔」のもとになった曲について記された個所があったので引用する。

 

「床に置いた取材用のテープレコーダーから物悲しい反戦歌が流れていた。『ジェム・スア(美しかったあの頃)』ーひところ、南ベトナムの津々浦々をひたした、この国の天才チン・コン・ソンのメロディーだ。」

 

 二部に分かれた歌詞の前半は日本語で、時のグエン・バン・チュー政権により発禁処分となる以前に、大阪万博に持ち込まれて日本の作詞家が翻訳し、逆輸入されたのだという。その日本語詞は恋人を戦場に送り出す女性で、後半のベトナム語詩は、草葉の陰から男性が女性に語りかける、というものとなっている。

 

 さて、第5章は「あの頃の、それぞれのサイゴン」という章題である。当時のサイゴンを知る人物を野地氏が取材し、当時のサイゴンの様子などを聞きとっている。

 その中に、アメリカ軍兵士としてベトナム戦争に従事した日本人への取材を終えた最後の括りに、こんな一節がある。

 

「当時のサイゴンは東京には及びもつかないけれど、日本の片田舎よりは進んだ町といったところだろうか」

 

 これは、近藤が美しいといったサイゴンの印象と、アメリカ軍兵士があまり快くない日々を送ったであろうサイゴンの印象を、野地氏がまとめた「推測」なのだが、近藤紘一はその著作でサイゴンは都会だから素晴らしいとか、田舎だから素晴らしいというような尺度は持ち出さなかった。ベトナム人の身になって考え、書いたからこそ近藤紘一の著作が今でも文章として腐ることなく残っているのだと私は思う。

 小林秀雄がかつて、真の歴史家とはなにがあった、これがこうであったと事実を並びたてるのでなく、当時の人々が思ったように、歴史を思い浮かばせる人なのだという趣旨のことを書いた。

 野地が歴史家でないことは承知の上だが、その目線は徹底的に、その時代に寄り添っていないのではないか、と思わざるを得ない。沢木耕太郎は、1975年のサイゴンを、訪れたくてもそれが叶わない「夢の都市」の一つとしている。同様に私も、「美しい昔」としてサイゴンを夢の都市のままとしておけばよいと思う。サイゴンが片田舎だったとして、それがなんであろうか、と思う。

 

 その他に取材をしたうちの一人に、当時15歳でベトナムから日本に難民としてやってきた女性がいる。彼女の父や兄は、近藤紘一夫妻と交流があったというが、彼女自身は近藤紘一夫妻との面識はないという。

 その彼女は、近藤紘一のサイゴンの情景を描く才能に驚き、ベトナム戦争一辺倒であった日本のベトナムに対する印象を変えた近藤紘一の著作群に感謝の意を示しているのだが、「ただ、奥さんについては少し印象が違います。兄はナウさんのことを快く思っていなかったようで・・・」と、また聞きの悪評を野地が聞き取っている。

 インタビュアーが何を聞きとり、何を取捨選択して文章に残すかは筆者の人格と感性と、その意図せんとするところによるだろう。このようなブログであってもそれは変わらない。私は、個人的に、「筆者の人格と感性と、その意図せんとするところ」に対する疑念を深めつつ、続く第6章を読み進めることとなった。

 

 

学生との対話

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一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編> (講談社文庫)

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近藤紘一さんに関心のある方、お持ちになった方へ                                                -   乱雑なブログとなっていますが、よろしければぜひコメントをお願いします。近藤さんついて語れる場の一つになればよいな、と思っています。