記憶、或いは希望の話
筆者あるいは読者の視覚
最近、新潮文庫版の「ヘミングウェイ全短編」を読み、その作品は評判どおり優れたものだと感じた。ヘミングウェイは「視覚型」の作家だと、作家の吉村昭が書いていたが、描写される風景が鮮やかにイメージされるように思われ、その意見は的を射ている、と思った。
読者の側にも、視覚型、聴覚型といったタイプが分かれているのかもしれず、私がヘミングウェイの文章を良いと思えるのも、私が視覚型の読者であるかもしれない。例えば、開高健は、触覚型或いは嗅覚型の作家であるように思える。私のような”鼻の効かない”人間には、肌感覚で理解しがたい世界が、そこには描かれているのかもしれない。
そう思えば、このブログのテーマである近藤紘一の文章はどうであろうか。おそらく視覚型なのではないか-改めて検証はしていないがー、という気がする。
非人間化の過程
近頃の、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、私はしばしばサイゴン陥落のことを思い浮かべている。それにしても、あれから47年が経過し、戦争はいよいよ機械的な、非人間的なものになってきている。人間の知覚の及ばない遠方から、人によって照準を合わせられることもないミサイルが飛んでくる。
しかし(サイゴンから北方数十キロの)スアンロクが落ちてもまだビエンホアがある。北ベトナム軍もこのまま一気に首都には攻め込めないんじゃないか
という、まだしも人間的な感覚からは、随分と離れた領域まで、兵器の進化(或いは退化)が進んでいるようだ。
パリの近藤紘一、或いはヘミングウェイ
ところでヘミングウェイを読んで思い出していたのは、ベトナム以前の近藤さんが、絶望の淵にあってヘミングウェイを読み耽っていたということである。
近藤さんがヘミングウェイのどの作品を読んでいたのか書かれていないが、私はそれが前述の短編集だったのではないか、という気がする。近藤さんの亡き妻との思い出のいくらかは、パリ時代のものである。若い時代にパリで暮らしたヘミングウェイの書く世界の中に踏み入ることで、それは絶望と後悔に近づくようなやり方で、近藤さんは何かのきっかけを探したのかもしれない・・・と。
no title
料理に使われる香辛料が素材の味を高めるように、旅にスパイスというものがあるなら、最上のスパイスとは、未来への漠然とした希望なのではないか、という考えが萌した。
それなら・・・などと、余計な考えをもったときは、明日のために早く眠ることが最善手の一つだと、誰かが言ってくれるだろう。
発掘されるもの
採掘
2000年代に入って各家庭にパソコンが普及し、インターネットによる情報収集が当然のこととなったのは、周知のとおりである。そうした時間的制約を背景として、インターネット上の情報は、大まかにいえば新しいものに限られている。つまり、web配信など想定されていなかった数多の情報資産は、どこかに眠っているのだ。
そのような資産が、あるときに人目に触れることがある。誰かが、眠っていた情報を地下から採掘し、地上に持ち出して日に当てるのだ。そのように私は、感じている。
特派員報告「サイゴン陥落の記録」(1975年(昭和50年)6月17日)
前回記事「カブール陥落(8月16日更新)」に、有難いことに読者の方が情報を寄せてくれた。youtube上に、サイゴン陥落時に取材を行っていたNHKサイゴン支局の製作による映像が公開されているというのだ。
百聞は一見に如かずとは古い言葉だが、古いものを正しくないと根拠なく断ずることは、それがいつであっても「現代」という時が持つ悪弊であるように思える。映像の乱れさえ、それは一つの時代を映じているかに見える。
南ベトナム最後の大統領として、ズオン・バン・ミンが就任後の大統領官邸の様子に始まる映像は、臨場感にあふれていた。
【以下、youtube掲載ページ↓】
ほぼ日学校長だより
「ほぼ日刊イトイ新聞」というメディアがあり、私はここが販売する「ほぼ日手帳」を愛用しているが、いわゆるオンラインサロンのようなものとして、「ほぼ日の学校」というサイトがある。
そのサイトでは「学校長だより」が配信されており、近藤紘一について触れている回があった。2019年に書かれたもので、私は最近、これを発見した。
「ベトナム研修旅行にて」
2月15日から19日まで、ほぼ日メンバー総勢117名で、ベトナム研修旅行に行ってきました。こんな大人数の旅に加わるのは、中学の修学旅行以来です(高校の時は、所属していた運動部の全国大会出場とぶつかって、修学旅行をあきらめました)。行き先がベトナムだと聞いた瞬間に、心に決めたことが1つあります。行きの飛行機の中で読む本です。これ以外にないだろう、と思った本が1冊。近藤紘一『サイゴンから来た妻と娘』(文春文庫)です。
私はこれを、非常に良いぺージだと思った。このブログを訪れる人より、「ほぼ日の学校」を訪れる人が多いであろうことは明白なので、そうした場所が、近藤さんについて触れる機会を作ってくれることは、様々な面で良いことなのではないか、と思っている。
コロナ、戦争、共産主義
出典が思い出せないが、作家の吉村昭が、「共産政権下の中国に自由はないということを言う人がいるが、私の戦争時代の経験に照らして、その様なことはない。戦時下には戦時下なりの自由があった」という趣旨のことを書いていた。
だから私は、コロナ禍によって緩やかに何かが制限されている今の状態を、共産主義下の人々の暮らしや、戦争中の空気に近いものではないか、と考えている。私は自由に暮らしているつもりだが、マスクをしなければならない、ソーシャルディスタンスを取らなければならない、という制約を受けている・・・
それらの制約は、医学的なエビデンスがあり、感染拡大を食い止めるためには「正しい」はずだ。しかし、戦時中や、共産主義下における制約は正しくなかったのだろうか。
絶対的な正しさというものは、極めて常識的な、ごく限られた範囲にしか存在しないのではないか、と思う。